かふかログ

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村上春樹風「したいことは正直にしたい」って言った方が生きやすくなる件

雑感

 

「ねえ、ワタナベくん、今ウンチしたいって思ってるでしょ?」

 

 

「うん、したいって思ってるよ」

 

 

「どのくらいしたい?」

 

 

「世界中のバターが溶けて全てハチミツになってしまうくらいしたいさ」

 

 

僕の目の前に座っている彼女は、ふと顔を赤らめた。

「ワタナベくんって面白いのね」

 

 

「そんなことないよ。僕は取るに足らない普通の人間さ。何処にでもいる人間だよ」

 

 

「ねえ、なんでウンチしたいのに、黙ってて、私に言わなかったの?」

 

 

「だってそれを君に言ったら嫌われると思ったからさ」

 

ウェイターが僕らのテーブルにそっとコーヒーを置いた。

 

 

「そんなことないわよ。ワタナベ君が何回ウンチに行こうが私にはそんなのどうでもいいことよ」

 

 

「それが三回目でも?」

 

 

「そうよ。だってそうじゃない?人が便を催すって普通のことじゃない?それが一日に何回であろうと関係ないわ」

 

 

「君にそう言われるとは思わなかったよ」

 

 

「まさかワタナベ君、そんなつまらないことで、私の気持ちが変わるとでも思ってるの?そっちの方が腹が立つわ」

 

 

「うん、わかった。これから正直に言うよ」

 

 

僕がそう言い終わると、彼女は席を立ちトイレに行った。おそらくウンコだろう。

やれやれ。

 

 

僕は彼女が席を立った後にできた空白をじっと眺めていた。ガラス越しにも世界は刻一刻と時を刻んでいた。

 

 

もう僕は過去の歩んできた時には戻れないんだと思った。人々がこのガラス越しの世界をそそくさと過ぎ去るように、時はとめどなく流れていた。

 

 

僕にできることはあまりにも限られている。

 

 

だからこそ、ウンコをしたい時は、正直にそれを告げよう。この世界に正直に告げよう。

 

 

世間が一日のするべきことを終え、帰路を求める夕暮れ時、僕はそんな思いに耽た。

 

                                                                  

 

 

 

 

 

えーーーっとw 

詳しくは下記参照してください。ウンコしたい時に、自身の体のサインを無視して我慢してると、正直に生きれなくなります。そういう小さいところからだと思うのです。やりたいことやれるようになりましょう。

 

k-nali.hatenablog.com

 

おわり 

執着って、なんじゃらほい。ぽいっと捨てたいのー

雑感

執着の多い生涯を送って来ました。

 

はい~~ また太宰治ですね おさむちゃんですね。

パクリですね 

 

いや僕、太宰治別に好きじゃないですw

村上春樹が好きです

 

でも ~生涯を送って来ました ってテンプレにしちゃおっかな

 

で今職場からこれ書いてるんですよ

いや暇なんでw

来月で辞める職場から書いてます。。w

ちょっとドキドキ♪ いやワクワク?

 

あ、太宰治で思い出しました。

「人間失格」ですよね。太宰治といえば。

僕も2回くらい読みました。

 

けどね、もう人間、人間失格って思うぐらいがちょうど良いと思うんですよね。ちょうどじゃないか。どストライクに。まじで。ガチで。カッチコチで。

 

クソ人間くらいの方が。

 

俺は人間失格。

失格。

失格。

クソ人間。

クソ。

クソ。

クソ。

人間じゃない

ヒトじゃない

ヒト科じゃない

科学?

ん?

動物

動物

動物!?

 

動物だ!俺ただの動物だ。ってなるから。

 

あ~もうただの動物でいいやってなるから。

飯食ってクソして息してても、それで幸せなのかなって思える、じゃなくて

勘違い?ん?できるからw ぼけーーーっとしてて、そっからなんかやりたくなるから。

 

 

えーっと、で執着の話に戻ろう。

(なんか勝手に事垂れてるけど、わかったように垂れてるけど、だらだら垂れてるけど、これだんだん楽になってきた自分に確認のために書いてるだけだから。俺のため。だけさ)

 

僕のブログ仲間でね、素敵な(というか僕はそこから実体験として学べた)文章を書いてる方がいるわけさ

 

でその人の文章を読んでると、全然執着がないんだよね

 

ブログでお金稼ぎたい~って言ってるけど、そこに不思議と執着がないんだよね

いや、多分本人は「執着ありますよ!」って言うかもしれないけど、僕からしたら良い感じで、ない。

 

たぶん、自然と湧き上がってくる文章書きたいっていう気持ちから書いてる気がするのよ

 

その人もいろいろ悩み通り抜けてそこに着いたんだと思う。周りの目とか、世間体とか、できない自分とか。

 

で、たぶんそういう人は、お金稼ぐようになると思うのさ。お金が周りからついてくるというか(まあここは僕の中でまだ未知だけど、なんかそう思うようになった)

 

だって、その人自身が何かに寄りかかるでもなく、執着するでなく、言葉悪いけど(いや良い言葉だと今は思ってるけど)なーーんも無い自分を受け入れてるから。そこを自然と信じてるから。

 

そんでもっと言うと、その人別にそれでお金稼げなくても、どう転んでもその人は幸せになると思う。っていうか今もうなってるかな? 幸せというか、もうなんか、なんだか、なんでんかんだか、満たされてるというか。ね。

 

うん、執着についてそんな感じ。

まためんどくさくなったからここで止めるw

 

ごめんちゃい

 

ちゃいちゃい ぽいっ って感じで しゅうちゃく いらないよ

 

 

何も無い自分から逃げてたら一生悩みます。たぶん。

雑感

悩みの多い生涯を送ってきました。(はい〜〜〜〜  太宰風)

 

しょうご です。(かふか とかって匿名使ってたけど、本名は しょうご です。もう本名でいいです)

 

えーっと、なんで今この記事書いてるかっていうと、もうホント最近色々と自分の中でひっくり返ってて。ひっくり返ってます。ます。ますます。ますますます。

 

今までブログで「分かった!人生の答えが分かった!!こうすればいいんだ!!」とか言って1人で騒いでたことあったけど、結局その後、時間経ったらまた悩んでたw  

ナンジャラホイw

おいおいおい。アーメン俺。

 

で、まじこの繰り返しだったね。この10年間(俺今28歳。来月で会社員辞めるんよ)。

なんでかなー?何でこんな長い間曇りがかってたのかなー?って考えるとね、今やハッキリしてるよ。

 

1番怖いものから逃げるために、何かしてウオーって頑張って、その逃げた場所で悩んでたから。

 

逃げた場所で悩んでるから、

1番怖いもの無視してるから、

何しても永遠に解消されない、永遠に満たされない無限ループ。乙!w

 

これをね、今俺がふむふむって読んでるナリ心理学(まじ長年悩んでる人読んだ方がいいよん)によると、地獄のデスロードって呼ぶらしいですぜい。

k-nali.hatenablog.com

 

うん、俺の10年間デスロードだったわーーー まじw

デスデスロードかな?

いやDEATH DEATH ROADの方かな??w

 

はい。

 

 

自分にとって1番怖いもの = 人とのコミュニケーション、人とちゃんと向き合うこと

 

もっと掘ると、

=何にも無い自分、無価値な自分

 

でした。

 

はい〜〜よくある話〜〜だよね。

うん。

だけどずっと逃げてました。

 

怖いからね。ちゃんと人と向き合うことができない自分と向き合うの怖いからね。めっちゃ怖いからね。恥ずかしいからね。(まあでも親友はいるんだけ、いるんだけど、結局その狭いテリトリーで自分を守ってたんよね) 

 

んでこの1番怖いこと、なーんも無い自分から逃避して色々やってました。頑張っちゃってました。

 

宇宙論とかにハマったり、哲学に耽ったり、村上春樹主義者になったり(いやハルキストを否定してるわけじゃ無いですよ。今も好きですから)、ギターで作曲しまくったり、ブログはじめてみたり、カメラ買ってみたりと。

 

ナリ心理学で言われてるけど、

これらが純粋に好きでやってることだったら別にいいんよ。いいいい!

 

だけど、何か嫌なこと、不安なことから逃れるためにやってたら、それ無限ループだよってこと。地獄のデスロードってこと。

 

で自分でも正直今上記のことを純粋に好きでやってたのか、逃げでやってたのかは判別が難しい。けど認識はできてよかった、とりあえず今。

 

・・・

えーっとちょっと書くの疲れましたw

また次の記事で続き書こうと思います。すいません!

 

結論だけ簡潔に言うと、(というか自分まだ現在進行系だから、まだまだ人にこと垂れる分際じゃないんだけど)

 

ずーーっと逃げてた「無価値な自分」「なーーーんも無い自分」をただただ認めてそれでもいいや!別に特別なことしなくてもいいや!って思うと、なんか知らんけど、ふつふつと裸のままで満たされてる自分がいて、それが生きれてる感謝なんかなんなんか知らんけど、そっからなんか人生楽しいかな!って思えるって話。そのためには、逃げてきたものに対して向き合わないといけない。かな?w

 

・・って勘違いできる話。

え!?w

いや俺も気付きはじめたばっかりだから全然分からんよ。けどなんかたぶんそうだと思うだけ。一緒に考えていけたらいいブログにしようかなーと思ってます。ますます。

 

 

おわり  つづく かな

The reason why you suffer from your life, No religion talking.

Life

※数少ない読者の皆様、ちょっと英語で書くことを試みようと思います。アクセスあるのか?

*Allow me to write down in my broken English. I'm just happy if you understand the content ;)

 

Are you suffering from something in your life?

 

Suffering from for long time? Or feeling your life isn't going well as you wish? About your job, relationship, or money, and such such. (except something you cannnot do anything like serious disease)

 

I'm now 28 years old Japanese, and I've been suffering for long time like 10 years. Mainly for social relationship and finding the suited lifestyle for me. Now I find a peace in my heart ;)

 

 

Ok, so why you are suffering?

 

 

It is because you try hard to make tons of efforts to live. Mistakenly.

 

 

Making efforts is generally considered to be good thing. 

 

People say... 

If you study hard, you can enter great university.

 

or

 

If you work hard, you can get a promotion to build your great career.

 

or

 

If you try to be nice person, you can become happy.

.

.

.

such such

.

.

.

.

.

.

 

But is that really ture??

 

Is it really true that the situation will become better if you put your efforts hard?

 

Yea, maybe you would get rewarded as you work hard. But it is not always. It is not sustainable. You would get tired eventually. 

 

So.... what I want to say is...

.

.

.

.

.

.

.

.

.

Opposite!!!

 

Truth is, the more you do not put your efforts to live, the more you become happy. You find peace in your heart. The more you just do what you want to do each day, the more you are gonna be fine. Just be simple.

 *I'll explain this in later article.

 

So, why on the earth do you make tons of efforts to live??

 

Because you believe you are not worthwhile existence without making efforts. You believe this in the bottom of your heart. You do not believe in NAKED YOURSELF, which is truely worthwhile no matter what.

 

This mistaken mindset would have been build by your parents or your perspective for each experience you have been going through.

 

Ok........pls let me finish here this article, I mean you know, Japanese are not good at English and have to make efforts to write in English.

 

"You MAKE EFORTS!!??" 

you would say lol

 

Yes!! ;)  lol (kidding)

 

to be continued...

 

Best,

Shogo

【まだ見てない人に呼びかけるだけの記事】 映画『この世界の片隅に』

かふか です。

 

ダメだ。。。もう予告編をYoutubeで見直すだけで、どうしようもなく涙が溢れ出てくる。

 

映画『この世界の片隅に』の予告編。

 

皆さんもう見ましたか? 見てなければ、もうね、絶対見ておくべきです。もういきなり僕のベスト映画に入りました。2回見終わって一週間経っても、しみじみやばいです。もうね、やばいです。

 

この映画は日常のクッそ大事な、生きるという事のクッそ大事な、人という事のクッそ大事なものを根底から私達に見せてくれます。淡々と。淡々と。淡々と。。。

 

戦争は大変だった、その記憶を後世に伝えたい。というだけの映画ではないのです。まるで明日死んでしまう時に人の心に宿る善みたいなものを見せてくれます。僕は別に明日死ぬという状況にはないですが、これだけ言ってもいいと思います。普遍性がありすぎるのです。いや僕はこの映画が見せてくれるその普遍性に気づいていなかったかもしれない。

 

今の悩みとか苦しさとか、そんなもんとりあえず超えて人の心に響きます。

 

www.youtube.com

 

 

もうこの記事、以上です。 

 

レンタル開始まで待つと言わずに、映画館で見てください。

それだけです。

 

かふか

一昨日、会社辞めるって伝えました。

雑感

Nomad,Kanas(XinJiang, China)

こんばんは、かふか です。

 

かなり久しぶりの投稿です。たぶん1ヶ月?ぶりくらいかなあ。もう名前も忘れられてるかもしれませんね。。。

 

放ったらかしにしてたこのブログですが、久々にはてなカウンター見たらここ数日急にアクセスが増えてました。なんでって? 村上春樹の新刊発売の影響です。そういえばこのブログは良くも悪くも僕が敬愛する村上春樹の記事が中心でしたので・・。

 

とまあ前置きはこのくらいにして、僕の個人的な話をすると、一昨日、上司に会社を辞める意向を伝えました。(昨日この記事書いてましたが、頭が整理できてなかったので、今その続きを書いています)

 

会社には以前にも1度退職意向を伝えたことがありましたが、その時は業務変更措置をして頂き、延命となりました。今回はもうこれ以上、死んだ魚のような目を浮かべながら、延命措置を繰り返しても、30を超える頃には人生行き詰まってしまうだろうなと直感したので決断した次第です。この辞める辞めないのループを今まで100周はしてきました。僕としては、今回でやっとという感じなのです。

 

辞める理由は、会社待遇・環境にはありません。夜8時にはほぼ誰も残っていない、ボーナスは4.3ヶ月ほどちゃんとでる、皆大体優しい、という稀に見るホワイトの会社でした。

 

結局のところ原因は僕自身です。僕という人間の特性がやはりどうしても会社という組織に合わなかったのです。社交不安、発達障害気味の気質(ここ数日でこれに気づきました)を持つ自分にとって、コミュニケーションの嵐に晒される戦場は、周りの10倍くらいストレスでした。どんなにホワイトの環境でも、スーパーサイヤ人3くらいにまで自分のエネルギーを上げないと対応できませんでした。そして、これが1番ですが、今の仕事をしている自分が嫌いでした

 

勤続年数はこの4月でちょうど3年となります。春を迎えるまでには退職していると思うので、もれなく3年以内に辞める若者の類いに入ってしまいました。まあ、僕としてはよくここまで続いたなあというのが率直な感想なのですが。

 

とにかく、この3年間で学んだのは、人にはどうしようもないくらい向き不向きがあるという事です。お金や安定よりもそっちの方が大事です。だって、お金や安定があっても、心が不安定では人生は開きませんから。もちろん自分の特性にぴったりと合致するBestな職を見つけるのは難しいです。ただ、Betterならあると思います。これからはBetterを探していきたいと思っています。

 

とりあえず今の気持ちとしては、将来の不安よりも、霧が少し晴れたような感覚にあります。元々心は世間のレールから外れていたにもかかわらず、現実は必死にレールにしがみついていた自分がとうとう現実までもレールから外れる覚悟ができたからです。なので、ちょっとすっきりなのです。

 

人生というのは、良くも悪くもとめどなく流れる時の堆積です。その時の流れに抗うことはなかなか簡単な事ではありません。あの時の決断もあの時の断念も今までの運命も、結局そうならざるを得なかったように思うのです。僕らは正に大河の一滴なのです。大河の一滴。僕のブログ仲間が言ってた言葉です。(元は五木寛之かな?)その一滴、一雫の小さな存在が何かしらこの世界に少しでも影響を与えることができれば素敵だなあと思うのです。

 

さて、次をどうしよう? というのが僕の近々の問題なのですが、うーんどうしましょうかね。困った。

 

とりあえず、村上春樹の新刊でも読みながら考えていきたいと思います。皆さんもう読みましたか? 下記の記事にも書いてましたが、僕は今実体験をもって「うちひしがれている時にこそ、村上春樹の小説は心に響く」という事を感じています(笑)

 

myeinst.hatenablog.jp

  

ぼちぼちブログを再開していこうかなあと考えているので、レールから外れた所から、改めて今後ともどうぞよろしくお願い致します。

 

かふか

ビジネスブロガー、ポエムブロガー、やさしい人

雑感

かふか です。

 

ブログという世界に入って数ヶ月。色々と記事を書き、色々と記事を消し、色々な人のブログを見てきました。

 

自分も含めてやはりブログを続けていく人というのはどこか普通と違うようです。そんな人達が毎日のようにこの日本のどこかでスクリーンに向かってカタカタとブログを書いている姿に思いを馳せます。

 

ブロガーの根底キーワード

それらのブログに共通するキーワードは何でしょうか。根底にあるキーワード。書くという行為を規定しているキーワード。自尊心、自己嫌悪、自己肯定、自己否定、自己受容、承認欲求、うつ、生きづらさ といった感じでしょうか。勝手で申し訳ないですが、みな自己をめぐる冒険。羊をめぐる冒険(勝手な冗談)。

 

僕もずいぶん長い間、これらのキーワードをめぐって迷路に迷い込んできました。迷宮入りのお蔵行きの迷路です。そして、その迷路に導かれるままにブログというプラットフォームに着地しました。正解なのかも分かりません。

 

ほっこり しました。

ただ、最近ふと思ったことがあります。ある人のブログを読んでいて、その人の毎日のように、別にSEOとかそういうの関係なく、かといってそこまで熱くなく、淡々と日記調で書かれているブログを読んでて、素直にこういうのいいなあと思いました。たぶんその方は優しい方なんだろうなあと思いました。その軽やかで屈託のない文章にそれを感じました。

 

そしてその人のブログに思わず ほっこり している自分がいました。

 

色々な自己をめぐるキーワードの中で、結局僕は単に やさしい人 になりたかったのかもしれません。ほっこり した心をもってる人に。そう考えると、何か自己から離れてふと軽くなる自分がいます。そういう基本的な部分をみすみす見逃してきたのかもしれません。

 

ビジネスブロガーでもポエムブロガーでもなく、単なる やさしい人。そんなんでもいいかもしれません。

 

とりあえず、休日に親に会ってこようと思います。全てはそこからはじまったので。

 

お読みいただきありがとうございました。(短いなあ、あんま書けなかった)

 

かふか

 

100個の「はてブ」より1通のメール / ネット上の承認はリアルのコミュニケーションには敵わない

雑感

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かふか です。

 

こんばんは。今日は完全に自分語りです。というのも、さっき思わず感動してしまった事がありまして、が冷めないうちにここに書き記しておこうと思います。

 

ここのところ、はてな村で、ビジネスブロガーだとかポエムブロガーだとか承認欲求だとかいう類が記事で多く書かれてますね。僕も興味深く読んで共感したり、「ん〜そうかな・・」と首をひねったりしてました。そんで、それに関係するかは自分でも分かってませんが、今日(というかさっき)ちょっとグッと来てしまったことがありました。

 

あるブロガーにDM送った

今日、僕がいつも一読者として記事を読んいでるブロガーさんに、ブログ以外の趣味の事でTwitterでDM(ダイレクトメール)を送ってみたんです。単純にその趣味の疑問があって、「質問があるので、教えて下さい!」と。

 

そしたら、丁寧に詳しく僕の質問に対して返信を下さいました。

 

という話です。

以上です(笑)

 

ん??何が感動なの?と思うかもしれませんね。

 

いやいや、僕にとってその方は、日頃から一読者として訪問しているブログの記事を書いている方に過ぎなかった(表現が悪くてすいません)のですが、DM(ダイレクトメール)で直接やり取りする事によって、急にリアルにその人の存在を感じたのです。急にその人の体温を感じたのです(気持ち悪いな俺)。ネットという仮想空間から飛び出して、僕のリアルの現実世界に迫ってきたのです。

 

まあ簡単に言うと、現実の普通の友達とメールしてる時の感覚と同じだったということです。DMなので当たり前といえば当たり前なのですが。    

 

いやいや、はてなブックマークのコメントとかでもそれ感じるでしょ?と言われるかもしれませんが、はてブなどの様なネット上に開けっ放しに公開されるメッセージとは受け取った時の感覚が少し違いました。ネットという海に公開されるメッセージは何かこうやはり遠く感じます・・ 僕がナイーブ過ぎるだけなのかもしれませんが。

 

より身近なメッセージ

そんで、ふと思い出したのが、僕の好きな はてなブロガー「チェコ好き」さんの以下の言葉です。

 

そこでちょっと考えてみてほしいのは、たとえばあなたの知的好奇心をくすぐるとても興味深い記事や 、好きな芸能人やスポ ーツ選手の、かなり熱のこもったインタビューが 、タイムラインに流れてきたときのことです 。あなたはそれを 、じっくり時間を使って読んで 、堪能することでしょう 。しかしそんなときに 、あなたが気になっている異性(同性でもいいですが)、尊敬する人物からL I N Eでのメッセージが届いたとします。どちらも同じ文字情報です。あなたにとって、より心が躍る、重大なメッセ ージとなりうるのはどちらでしょうか?

 

チェコ好き『旅と日常へつなげる』Kindle No.682

 

ご察しの通り、後者のLINEメッセージの方が心躍る、とチェコ好きさんは続きで述べるわけですが、結局僕が何を言いたいのかというと、「どんなにいいブログの記事によるどんなに多くのネット上での承認でも、リアルの個人的なコミュニケーションにはやはり敵わない」ということです。「100個のはてブより、1通の個人的なメール」の方が嬉しいという事です。

 

僕自身を含めた多くのブログを書いてる人が、リアルにおける人との関わりに何かしら不具合を感じてるのかもしれませんが、やはり完全にリアル無しでは、何も語れないのではないでしょうか。ネット上での承認欲求について考えるのもいいのですが、生身のリアルのコミュニケーション抜きには語れないのではないでしょうか。

 

かなり支離滅裂になってしまいましたが、とりあえず今日の僕の感動は書けたので満足です。

 

人は人によって傷つき、人によって救われます。

と、まとめておわり。

  

以上

かふか

 

村上春樹を読むと不幸?それにもかかわらず僕が思う村上春樹のすごさ

村上春樹

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かふか です。

 

以前、僕の学生時代の友人が言っていたのを思い出しました。

 

「私は村上春樹の小説が好きだけど、村上春樹にハマった事が自分にとって幸せなことだったのかは自分でも分からない」と。

 

ん〜なんるほどなあと僕は思いました。かく言う僕も同じ心境だからです。僕は村上春樹ファンですが、村上春樹という作家には、明らかに中毒性があります。もしかしたら、知らぬが仏で、ある人にとっては知らなかった方が幸せだったかもしれません。よく言われるように、村上春樹は好きな人はとことん好きですが、嫌いな人はとことん嫌いです。

 

まあ彼の作品が好きか嫌いかを議論しても実りはないと思うので、それにもかかわらず僕が村上春樹のここが魅力だと思う点を挙げてみます。 

 

ささいな日常へのまなざし

作家は自分の価値観や思想を物語として体現させますが、少なくない作家が観念的になる傾向があります。例えば、三島由紀夫。『金閣寺』に代表される彼の小説には、強烈なまでに徹底的な美意識が貫かれています。自分の情念を金閣寺を燃やすという事により、絶対的な美に昇華する様に。彼の作品は、それはそれで文学的芸術的価値が確かにあります。文学史的に名が残る価値があると思います。ただ、それを読者が自分の生活に落とし込めるかと問われると疑問です。彼の作品はあくまで、額に飾っておくような芸術作品に思えてなりません。川端康成、芥川龍之介にしても然りです。

 

対して、村上春樹の小説は、退屈なほどまでに、主人公の日常風景を描写します。一挙一動を描きます。ひどい時は、その描写だけで一つの章が終わることもあります。「パスタを作っていた。その時こんな音楽を聴いていた。」「イライラしていた。アイロンを一枚一枚丁寧にかけた。」などなど。読者に「そこまでお前の日常に興味ないよ!」と言われんばかりに。

 

ただ、村上春樹は小説を書きながら、その様なささいな日常を描くことに何か大切なものを感じ、ある意味で意図的に描いていると思われます。観念的にならずに、現実を凝視しています

 

現実世界におけるグレーゾーン

作家ひいては芸術家というのは、多くの場合、観念的になりがちです。評価されるごとに自己顕示欲(?)が高くなり、その分だけ美意識も高まると言えばいいでしょうか。その意味では、村上春樹は泥臭い作家です。村上春樹は、自分の価値観や思想を作品として昇華させるというより、フィクションを通していかに現実を描くかいかに一つの物語を読者に提示できるかということに重きを置いています。

 

又、彼の作品に明確な答えはありません。物語の続きはあくまで読者にグレーゾーンとして委ねられています。この白黒決めないというスタンスは、村上春樹の作家としての読者に対する誠意であり、彼の倫理観になっているのだと思います。1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件から特に。以下の言葉にそれが現れています。

 

でも実を言えば私たちが林医師に向かって語るべきことは、本来はとても簡単なことであるはずなのだ。それは「現実というのは、もともとが混乱や矛盾を含んで成立しているものであるのだし、混乱や矛盾を排除してしまえば、それはもはや現実ではないのです」ということだ。「そして一見整合的に見える言葉や論理に従って、うまく現実の一部を排除できたと思っても、その排除された現実は、必ずどこかで待ち伏せしてあなたに復讐することでしょう」と。

 

『約束された場所で』p329



Hands

身体的感覚の大切さ

観念の世界だけに入り込まないという村上春樹の態度は、彼がランナーであることからも見て取れます。おそらく、村上春樹ほど体を動かしている作家は日本にいないのではないでしょうか(僕が知る限り。海外には多く見られますが)

 

彼は長編小説三作目の『羊をめぐる冒険』を書くあたりから、煙草を絶ち、ランニングを始めています。専業作家として生きていく上で、身体的感覚の大切さを直感的に感じたのしょう。

 

後から考えると、村上春樹のこの《身体性》は、1960年〜1970年ひいては僕らのインターネット世代への反論のように思われます。 理想やイデオロギーを語る、二次元などような空想の世界に浸るのではなく、もっと自分の《からだ》に戻れと。自分の足元を見ろと。そこからしか現実的な物事は始まらないのではないかと。

 

村上春樹は彼の超現実的な(あり得ない出来事が多々起こる)小説から一見、夢想家のように見えますが、その実は徹底的なリアリストです。自分の《からだ》の感覚を大事にし、そこから一歩一歩ランニングするかの如く物語を紡ぎ出す作家だと思うのです。

 

 

以上

かふか 

文章を書くという自己表現に向いている人って? 3つの仮説

雑感

Writing

かふか です。

 

はてなブログを始めて、大体三ヶ月が経ったのですが、まことに文章を書くというのは、精神衛生上すこぶる良い影響があるなあと思うのです。もちろんブログという形なので、このネット上の誰かしらに自分の書いた記事が見られ得るという承認欲求も、それはそれは否定できないのですが、それ以上に自分の思いの丈を文字にして表すという事に底知れぬ何かがあるとしか思えないのであります。(なぜか『マツコ&有吉の怒り新党』のナレーターの語調になってしまっている・・・のであります)

 

ブログというのは、自己表現の一つです。ただ、自己表現という観点だけから考えると、音楽を作曲するのだって自己表現であるし、絵を描くのだって、陶芸をするのだって自己表現です。僕は数年前まで音楽をやっており、ずっと曲を作っていました。それをバンドで表現したりしてました。もちろん、それはそれで自分の感情を音楽という形に表すことによって、充足感はありました。ただ、今思うのが、自分には文章を綴っていく方がより充足感が高いということです。たぶん、これは僕という人間が、上手い下手は別にして、文字における表現の方に向いていたからでしょう。

 

というわけで、勝手ながら、以下にどのような人が文章による自己表現により向いているか、より充足感を感じやすいかという事について、仮説を立ててみました。まことに勝手ながら。

 

※「文章を書くこと」の精神衛生上の効用について、書こうとしましたが止めました。こっちの方が、面白いかなと思ったので。

 

1.  アドリブが利かない人、石橋を叩きまくって渡る人

僕は長いこと音楽をやっていたので思うのですが、多くの自己表現はやり直しが容易ではありません。音楽の場合、もちろん自分だけで曲を創っている時は、何度も練り直すことができます。「ここのパートはコードが合ってないから変えよう」とか。しかし、音楽の最も輝ける表現場であるライブではやり直しはききません。演奏をミスすれば、ミスになります。もちろん演奏し直すことはできますが、ライブで普通それはやりません。音楽はあくまで時間における自己表現なので、曲のある時点でミスるとそれは取り返せません。

 

絵はどうでしょう。絵もやり直しは難しいのではないでしょうか。壁画なんかにペイントしていて、ペンキをミスったらアウトです。たぶん。まあ修正の手段は色々と持ち合わせてはいるのでしょうけれども。デッサンにしても、そりゃ鉛筆で書いていれば、消しゴムで消せますが、大きくミスした時はなかなか厄介でしょう。

 

昨今、趣味として人気の陶芸にしても同じです。(僕も一回だけ陶芸体験したことがありますが、)陶芸は、ろくろの上で指が滑ったら致命的です。ぐにゃってなります。

 

カメラは? 静止しているものや情景であれば何度も撮り直せますが、動いているものに対しては、そうはいきません。その一瞬を捕えなければなりません。シャッターチャンスは一度きりです。 

 

ではでは、やっときました。文章を書くというのはどうでしょう。今の時代ほとんどの人は、キーボート(スマホであればテンキーかな)で文章を綴ることができます。「なんか文章ミスったな」「文脈がはっきりしてないな」と思えば、Delete keyを押せばいいだけです。いっぺんに消したければ、その部分を選択してDeleteです。文の構成を変えるためのコピペも容易です。つまり、簡単にやり直すことができるのです。リライトです。即興性に長けていなくても、じっくり何度でも推敲して投稿(本番)できます。コーヒーでも飲みながらじっくりと。

 

※こんなこと言ってるのに何ですが、個人的には文章を書く時に、ある程度の即興性は大事かなと思っています。べつに時間に縛られることはないですが、ある意味短い時間で、即興的にダーーっと書き連ねる方がいい文章が書けるのではないかと思うからです。僕が敬愛する作家の村上春樹も即興的な書き方です。構成などあまり練らずに、白紙にアドリブで物語を紡いでいく作家です。

 

 僕がブログの記事を書こうと思ってキーボードの前に座るとき、よくこんな声が聞えてきます。

 

さあ、じっくり羽を広げて書いてごらんなさい。時間はたっぷりあるんですよ。後からちょこっとだけ修正もOKよ」と。僕は「はい。」と頷いて書き始めます。

 

 

Writing

 

2. 右脳ではなく、左脳で考えるタイプの人

これはホント仮説ですが、おそらく文章を書くのに向いている、ないしは充足感を覚える人というのは、物事を現実的に理性的に考えるタイプなのではないでしょうか。一つ一つ筋を追っていきながら、時間をかけてやっと腑に落ちるタイプ。いわゆる左脳タイプの人。人間がもつ表現の手段として、文字というのは一番直接的で理性的です。

 

対して、より抽象的で自分でも自分が表現していることを完全には理解していないような人は、絵とか音楽に向いているような気がするのです。より抽象度の高いものでもって、満足するタイプです。右脳タイプでしょうか。たぶん、このタイプの人からすると、小説なんかは、直接的で説明的過ぎるのではないでしょうか。それよりも、一枚の一瞬の情景でもって、現実を捉える方が好みなのではないでしょうか。

 

 

3. 「書く」以外において、自己表現の手段をもっていない人

最後はこれです。書くというのは、最も敷居の低い表現方法です。楽器が弾けなくてもいいし、絵がうまくなくてもいいし、手先が器用でなくてもいいのです。読み書きができれば表現が可能です。

 

べつに文章力がなくても、熱意をもって書けば、人にちゃんと伝わります。音楽なんかはいくら熱意があっても、音が外れていては正直聞いてられません。日本における識字率からみても、義務教育を受けた人であれば、ほとんどの人が読み書きはできるでしょう。漢字が分からなくても、今やパソコンが変換してくれるのですから。

 

 

と、まあ僕が考える「文章執筆に向いてる人」論はこんな感じです。最後はジリ貧になってしまいました・・。まあけど、文章書いてて「楽しいなー」と思える人が一番向いているんじゃないでしょうか。というオチにしておきます。 

 

最後にこんな引用で終わらせて下さい。

 

弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現在の僕におけるベストだ。付け加えることは何もない。それでも僕はこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。

 

村上春樹『風の歌を聴け』p8-9

 

はい(笑)

では。

かふか

toe ポストロックバンド/ 命ある限りこのバンドの素晴らしさを伝えたい

音楽

Headphone

かふか です。

 

音楽聴いてますか?  音楽というのは、一般的に多くの人が思春期の時から聴き始めるものでしょう。思えば僕も中学生の時から、(まだ当時はMDの時代でしたが)色々と聴き始めました。

 

 

音楽は、最も手軽に聴き手の世界を構築してくれる芸術

人は思春期から自分の世界を創っていこうとします。自身のアイデンティーを創り上げていこうとします。

 

音楽というのは、それをするのにおそらく最も手軽にできる芸術ではないでしょうか。文学ほど自発的に文字を追う必要はないし、映画ほどストーリーに注意を注ぐ必要はないし、アートほど鑑賞力は必要ありません。イヤホンを耳につけるだけで、もうそこには一つの世界が流れ出します

 

そのため、芸術というカテゴリーの中では、一番パイが大きいです。別に芸術とかそういうアンテナが強くない人でも、誰しもが日常的に接しているものです。僕は音楽というのは、他の芸術と比べて最も伝染力があり、いとも簡単に人の心に届くものだと思っています。

 

 

世間ではマイナーだからこそ、ここで伝えたい

その中でも、僕が特に紹介したいアーティストがいます。

 

なぜわざわざブログの一記事を割いてまで紹介するかというと、たぶんほとんどの人が知らないアーティストだからです。一般的にはマイナーだからこそ、多くの人に彼らの素晴らしさを知ってもらいたいと思い、今こうして僕はキーボードを叩いています。

 

もしかしたら、勝手な押し付けかもしれません。でもいいのです。魂が揺さぶられる、僕はその感覚を伝えたいだけなのですから。

 

 

世界屈指のポストロックバンド『toe』

さて、前置きが長くなってしまいました。僕の一番の一押しアーティストは、『toe』 というバンドです。日本語で トー と読みます。(え?もう知ってるって? それでしたらこんな前置きなどいらなかったでしょう。ごめんなさい。でもたぶん僕はあなたとすぐ友達になれます)

 

toe は、インストゥルメンタルバンドです。略してインストバンドです。人の声を用いず、(たまにボーカルが入る楽曲もありますが)楽器だけで演奏するバンドです。

 

バンドと聴いて拒否反応を起こした人は、今すぐこのページを閉じた方がいいでしょう。ただ安心してください。バンドといっても、そんじょそこらのガチャガチャうるさいだけのバンドではありません。情緒豊かであり、力強くもあり、聴くものに生と死を思わせ、圧倒的な臨場感を見せつけてくれるバンドです。

 

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引用: toe [NO MUSIC,NO LIFE. メイキング] - YouTube

 

toe は、日本のバンドですが、僕は正直初めてtoeを聞いた時、自分が日本人であることを誇りに思いました。同じ日本に住む人がこんな素晴らしい世界を生み出しているのかと。そして、その音楽が世界の音楽好きの心に響いているのかと。(toeは、インスト界隈では世界でも指折りのバンドです。日本よりむしろ世界での方が評価が高いでしょう。芸術志向の高いヨーロッパなどで特に好まれているようにに思われます)

 

まあ、でもそんな難しいこと考えなくても単純に toe はカッコいいです。正にイケてます。toe を聴いて、皆さんの音楽的世界観が少しでも広がれば幸いです。

 

詳しくは僕が薦める曲を厳選している以下の記事を参照してほしいですが、この記事でも何曲か載せておきます。

 

参照:インストバンドなら toeを聞け!!/日本の誇り/ ポストロック【名曲厳選】 - かふかログ

 

www.youtube.com

いきなり冒頭にボーカル入ってますが、あくまでゲストボーカルの声です。上動画では、録音した声を始めと終わりに流してます。あと曲名は『after image』です。動画内でのタイトルは間違えてますね。

 

www.youtube.com

これも動画内曲名間違えてますね。正しくは、『long tomorrow』です。

 

www.youtube.com

激しめがお好きな方はこちらをどうぞ。toeの中で一番ガツんとくる曲です。

 

 

バンドを本業としていないバンド

最後にバンドメンバーを紹介しておきましょう。

 

2人のギター、ベース、ドラムの4人編成のバンドです。(+サポートのキーボードがいます)

 

ギター: 山嵜廣和 (空間デザイナー)

ギター: 美濃隆章 (レコーディングエンジニア)

ベース: 山根さとし (アパレル経営者)

ドラム: 柏倉隆史 (プロドラマー)

 

彼らは、このバンドを本業とはしていません。上記()内の通り、各々に他に仕事をもっています。ただ、だからこそ彼らは本当に表現したい音楽がこのバンドでできるのです。金というものに惑わされずに、表現したいものを表現しているのです

 

以上、toeについて、こんな所でしょうか。

 

※僕は、toeのような玄人音楽だけでなく、一般的な音楽ももちろん好きです。最近でいえば、宇多田ヒカルです。昔から好きなのはスピッツ。それらについては、折に触れて記事にあげていきたいと思います。

 

では。

かふか

カメラを片手に自転車でふらりと。

カメラ

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かふか です。

 

気付いちゃいました。カメラと自転車の相性が良いということを。なんかいいんです。

 

 

自転車という乗り物

僕は最近一眼レフカメラを始めたビギナー中のビギナーなのですが、自転車は毎日会社通勤のために乗っています。いわゆるクロスバイクというやつです。

 

クロスバイクは、ママチャリより断然に速く軽く、ロードバイク(ハンドルが曲がってるもの)よりガチじゃない自転車です。毎日大体、片道10kmを30分くらい走ってます。家の近くから市内まで、ちょうどサイクリングロードがあるので、そこを朝から漕いでます。

 

 

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2016 Giant Bicycle [ESCAPE AIR]

 

こいつです。Giantという自転車メーカーで、クロスバイクの中では極めて王道と言えるかもしれません。鮮やかなマットグリーンに白。色にやられて買ってしまいました。

 

当たり前ですが、自転車は移動手段としては断然車より劣ります。移動できる距離が違います。

 

ただ、僕は車にはあまり惹かれませんでした。なぜでしょう。車というのはなんだかどうしても機械を動かしている感じがするからです。メカニックに操作するというか。ヘタすると、車という機械にコントロールされているという感が否めません。

 

それよりも、もっと自然の力を借りて動く自転車に惹かれてしまいました。自転車は、あくまで自分の足で漕がなければ進みません。僕にとってはそれが何か大切な意味を持っているように思えてならない。まあ漕ぎながらそんな意味みたいな事を考えてる訳ではないですが。

 

 

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走りながら風を感じる

自転車のいいところは、自力で漕ぐという行為だけではありません。漕ぎながら、進みながら、風を感じることができます。

 

移動している感覚を、空気から直に感じることができます。木々が連なるサイクリングロードを走っていると、肌から、匂いから、耳からそれを感じることができます。

 

 

カメラに自転車を。自転車にカメラを。

そんな自転車に乗って、ふらりと少し遠くまで行く。そこでパシャり、またパシャりと写真を撮る。どこまでも自由な感覚です。休日の昼下がりには最高かもしれません。

 

カメラを持っている人は、そこに自転車を。自転車を持っている人は、そこにカメラを追加してみてはいかがでしょうか。よりカメラLIFE、自転車LIFEが充実するかもしれません。

 

個人的にはもっとカメラを勉強せねば。いい写真を撮り、いい現実を切り取りたいものです。

 

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では。

かふか

柔らかな魂 / このことばいい響き『村上春樹 雑文集』より

村上春樹 雑感

Sunshine

かふか です。

 

柔らかな魂

 

やわらかなたましい

 

なんていい響きなんだろう。いい響き、心地よいこの言葉。

 

 

変わりうるこの心

今日仕事中にふと、この言葉を思い出しました。たしか、村上春樹が『村上春樹 雑文集』の中で語っていた言葉。

 

これは、村上春樹が自身の小説『海辺のカフカ』の中国語版のために書いた序文のタイトルだそうです。中国語版の序文なので日本では読むことができないため、この雑文集に収められたそうな。

 

村上春樹は『海辺のカフカ』を書くまでは、基本的に主人公を20代〜30代の男性に設定しており、その主人公たちの価値観は既にある程度固まってしまっています。かたや『海辺のカフカ』では、15歳の中学3年生の少年が主人公として描かれています。

 

でもこの作品の中で、僕が少年の物語を書こうと考えたのは、彼らが「変わりうる」存在であり、その魂がまだひとつの方向に固定されていない、柔らかな状態にあるからだ。

 

『村上春樹 雑文集』p473

 

参考までに: 

myeinst.hatenablog.jp

 

ゼロに戻りたい。その柔らかな。

僕らは大人になるにつれ、価値観や考え方が固着していきます。それがいいことなのか悪いことなのかは僕には分かりません。僕には判断がつきません。

 

ただ、たまにそんな固着した価値観を放り出したくなる時があります。放り出してもとのゼロに戻りたい。もとの柔らかな状態に戻りたい、と。

 

柔らかな魂は、たぶん不安定で脆く儚いものです。けれども、そこには何か大切なものがあります。そこには人が生きていく上で、大切なメッセージがあります。

 

やわらかなたましい。

とてもやわらかな。

とても。

 

 

と、僕は一体何を言いたいのでしょう?(笑) なんだか完全に「柔らかな魂」というその響きだけに導かれて、徒然なるままに書いています。でも、いいでしょう。そんな時があったっていいでしょう。だって、村上春樹も構成など特に考えずに、意図せず物語を紡いでいくのですから。(村上春樹とお前を一緒にするな!という声が聞こえてきそうです。)

 

でもまあとにかく、心が柔らかな状態は誰しも持った方がいいのではないでしょうか。「俺はこうだ!」「私はこうよ!」とかって思いすぎると人生疲れます。はじめはそう思ったとしても、精神が続きません。

 

それよりも、心のどこかに柔らかな、常に「変わりうる」部分があってもいいのではないでしょうか。それが自然だと思うのです。

 

なんだか僕のたわ言のような記事になってしまいました。すいません。

 

ただ僕はこうして自分の言葉を紡ぎ出すことによって、今は亡きスティーブジョブズが言った「その日寝る前に、『今日は素晴らしいことをした』と思えるような生き方をしなさい。」という、なんとなくそんな心境なのです。

 

自由に文章を書くってすばらしい。馬鹿ですね。

 

では。

 

かふか

村上春樹 雑文集 (新潮文庫)

村上春樹 雑文集 (新潮文庫)

 

 

《自己紹介》かふか って何者?

自己紹介

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※以下、2017年1月現在の情報

 

『かふかログ』 村上春樹 とその周辺

ブログ『かふかログ』に訪問頂きありがとうございます。かふか と申します。

 

かふか というペンネームは、予想が付く方もいるかもしれませんが、僕が好きな作家 村上春樹の小説『海辺のカフカ』から取りました。片仮名だとそのままなので、ひらがなにしたという安易な考えです。

 

参考までに:

myeinst.hatenablog.jp

 

 

関西在住、20代♂、普通のサラリーマンです。

好きなものは、村上春樹、宇宙、音楽、アート、映画、旅、文章を書くこと・・・

 

 

とまあ羅列していっても、上っ面だけで、僕の芯みたいなものはなかなか伝わらないと思うので、あえて2つの言葉で語ってみたいと思います。これが今までの僕の人生の世界観を決定づけてきたものだからです。たぶん。もちろん新しい価値観も今後取り入れていきたいですが、20数年生きてきた価値観はそうそう簡単に変わるものではありません。

 

 

物理学村上春樹

 

この2つ。

 

 

物理学との出会い / この宇宙の美しさ

※物理学という言葉に拒否反応がある人は、下にスクロールを。

 

僕はあまり面白くなかった高校時代に物理学という世界に出会いました。

 

物理学と聞いて、何をイメージしますか?小難しい数式を前に、しかめっ面で机に向かう研究者でしょうか?世間になど一切興味を示さず、宇宙の世界に没入する姿でしょうか? おそらく、一般的にイメージしやすいのは、福山雅治が演じた天才物理学者ガリレオでしょう。唐突に思い立ったように、数式を壁になりふり構わず殴り書くあの様。

 

世間で考えられている通り、物理学には難しい数式がわんさか出てきます。ただ、数学は物理学にとって手段でしかありません。この美しい宇宙を理解するための手段です。

 

例えば、アインシュタインのE=mc² という式。この驚くほどシンプルな数式には、僕らの住むこの宇宙の深淵が隠されています。

 

また、相対性理論によると、「《時間》の長さは絶対的なものではなく、各々の人にとって異なる相対的なものである。Aさんの1分間とBさんの1分間の長さは異なる。その違いを僕らが感じれないのは、僕らの動く速さが秒速30万kmで進む光と比べてあまりにも遅いから」とか。ここらへんでやめましょう(笑)続けると長くなりそうなので。

 

とにかく、僕は高校時代に、物理学によって世界の見え方が変わってしまいました。宇宙ってこんなに美しいのかと

 

 

Armonioso caos



村上春樹との出会い / 人間というカオスの世界

ただ、僕を含めるその宇宙を見つめる人間というものは、そんな数式などで簡潔に語ることはできません。もっと掴み所のないもので、カオスの世界です。

 

その後、僕は神経症やら何やらで悩むことになります。僕は明らかに今でいうところのHSP(Highly Sensitive Person)でした。そんな暗闇の中、出会ったのが作家 村上春樹です。彼の小説の中で、まさしく僕を示唆する文章がありました。

 

「そうだな。実際の人生は数学とは違う。そこではものごとは最短距離をとって流れるとは限らない。数学は僕にとって、なんて言えばいいのかな、あまりにも自然すぎるんだ。それは僕にとっては美しい風景みたいなものだ。ただそこにあるものなんだ。

 

『1Q84 BOOK1 前編』p113

 

上記の「数学」を「物理学」ととらえると、まさに僕の今の考えと同じです。僕は大人になるにつれ、人生を最短距離で計ることは難しいと悟り、割り切れない人間の内の世界や不条理な世界をフィクションを通してありありと見せてくれる村上春樹の小説にハマっていきました

 

村上春樹には、小説からだけでなく、彼の生の声であるエッセイからも強く影響を受けました。

 

1955年地下鉄サリン事件の首謀者の1人、林郁夫 元医師に対して、村上春樹はこう語っています。

でも実を言えば私たちが林医師に向かって語るべきことは、本来はとても簡単なことであるはずなのだ。それは「現実というのは、もともとが混乱や矛盾を含んで成立しているものであるのだし、混乱や矛盾を排除してしまえば、それはもはや現実ではないのです」ということだ。「そして一見整合的に見える言葉や論理に従って、うまく現実の一部を排除できたと思っても、その排除された現実は、必ずどこかで待ち伏せしてあなたに復讐することでしょう」と。

 

『約束された場所で』p329

 

オウム真理教の幹部の多くが、物理学や医学などの真理・理想郷を希求する学問を学んでいました。彼らは強くそれらを求めすぎたが故に、学問には諦めをつけ、オウム真理教という架空の絶対的ユートピアに走っていってしまったのです。

 

これは僕にとっては、人ごとではありませんでした。僕も物理学という完全無欠な真理に強く惹かれていたのですから。今でも物理学は好きです。ただ絶対的なるものに突っ走るのは、人間としてリスクがあることを村上春樹から強く学んだのです。

 

 

以上、長くなってしまいましたが、僕の根っこを語るとしたらこんな感じでしょうか。僕自身もまだ自分でよく分からない部分があります。まあでもそれでいいと思うのです。

 

 

このブログでは、村上春樹を中心に、皆さんの心に何かしら響けるような記事を書いていきたいと思っています

 

では、よろしくお願いします。

 

かふか

僕にはサラリーマン飲み会での会話が刺さらない。

雑感

Drunk

かふか です。

 

以下内容、黒いかもしれません。

 

先日の記事に繋がるのですが、やはり僕は少し病んでいるのでしょう。普通のレールの価値観ではないのです

 

myeinst.hatenablog.jp

 

会社帰りの立ち飲み屋

今日は花金ということで、会社で上司後輩と飲みました。立ち飲み屋。そこで3時間ほどでしょうか。喋りながら飲んでいました。僕は普段、飲みに誘われても結構断るタイプなので、今日は例外的でした。たまたま気分が乗ったのです。

 

僕ら3人が飲んでいると、数人の常連客が隣に来ました。彼らも明らかにサラリーマンの会社帰りです。僕の上司と後輩もその立ち飲み屋では常連でした。つまり僕以外、皆顔が知れているという訳です。

 

前もって言っておきたいのですが、僕の上司と後輩はとても良い人です。僕にとって特別興味惹かれるような人たちではないですが、悪い人達ではない。見たところによると、隣に来た常連客もそのようでした。

 

彼らは、仕事の疲れであったり、家庭の愚痴であったりと、それを軽やかなジョークに変えて、笑いを肴にしてお酒を楽しんでいました。そんな会社帰りの光景。平日の夜、日本において多々ある光景でした。

 

 

飲みの会話に心が踊らない

もちろん僕も面白いと思った時には笑います。話を振られれば喋ります。ただ、根本的にその場で繰り広げられる他愛のない話にどうしても心がついていかない。心が踊らない。僕もお酒を飲んでいるので、ある程度気分は高揚してるはずなのですが、その会話がまるで永遠のように感じられます。時の流れが遅くなったかのように鈍化します。これを永遠と続けて何の意味があるのしょうか。仕事で削ぎ落とされた分をこの酒の場で埋めてプラスマイナスゼロ。それに一体何の意味があるのでしょう。

 

意味なんてなくていい。それがコミュニケーションであり共同体ではないか、と言われてしまうかもしれません。それはそうなのかもしれません。そこに何かしら「愛」が含まれていればそれで十分なのかもしれません。

 

 

末期の目で自分を表現し続けます

要は、僕にはそんな他愛のない会話に対する感度が低いのです。そんな話をいつまでも毎日のようにして何になるというのか、という煮えたぎった思いが心に渦巻きます。

 

他愛のないことに感度が低い代わりに、この世界の片隅にぽっと現れる美しい光景などに対しての感度は高いのです。意識せずとも自分の今までの人生はその感度を育てるためにあったのでしょうか。その末期の目のような感度を研ぎ澄まして、自分を表現し続けていくしか他ないのでしょうか。

 

突き抜けるか否か。それはもう自分次第なのです。

 

 

 

以上

かふか