かふかログ

文章を書くという自己表現に向いている人って? 3つの仮説

Writing

かふか です。

 

はてなブログを始めて、大体三ヶ月が経ったのですが、まことに文章を書くというのは、精神衛生上すこぶる良い影響があるなあと思うのです。もちろんブログという形なので、このネット上の誰かしらに自分の書いた記事が見られ得るという承認欲求も、それはそれは否定できないのですが、それ以上に自分の思いの丈を文字にして表すという事に底知れぬ何かがあるとしか思えないのであります。(なぜか『マツコ&有吉の怒り新党』のナレーターの語調になってしまっている・・・のであります)

 

ブログというのは、自己表現の一つです。ただ、自己表現という観点だけから考えると、音楽を作曲するのだって自己表現であるし、絵を描くのだって、陶芸をするのだって自己表現です。僕は数年前まで音楽をやっており、ずっと曲を作っていました。それをバンドで表現したりしてました。もちろん、それはそれで自分の感情を音楽という形に表すことによって、充足感はありました。ただ、今思うのが、自分には文章を綴っていく方がより充足感が高いということです。たぶん、これは僕という人間が、上手い下手は別にして、文字における表現の方に向いていたからでしょう。

 

というわけで、勝手ながら、以下にどのような人が文章による自己表現により向いているか、より充足感を感じやすいかという事について、仮説を立ててみました。まことに勝手ながら。

 

※「文章を書くこと」の精神衛生上の効用について、書こうとしましたが止めました。こっちの方が、面白いかなと思ったので。

 

1.  アドリブが利かない人、石橋を叩きまくって渡る人

僕は長いこと音楽をやっていたので思うのですが、多くの自己表現はやり直しが容易ではありません。音楽の場合、もちろん自分だけで曲を創っている時は、何度も練り直すことができます。「ここのパートはコードが合ってないから変えよう」とか。しかし、音楽の最も輝ける表現場であるライブではやり直しはききません。演奏をミスすれば、ミスになります。もちろん演奏し直すことはできますが、ライブで普通それはやりません。音楽はあくまで時間における自己表現なので、曲のある時点でミスるとそれは取り返せません。

 

絵はどうでしょう。絵もやり直しは難しいのではないでしょうか。壁画なんかにペイントしていて、ペンキをミスったらアウトです。たぶん。まあ修正の手段は色々と持ち合わせてはいるのでしょうけれども。デッサンにしても、そりゃ鉛筆で書いていれば、消しゴムで消せますが、大きくミスした時はなかなか厄介でしょう。

 

昨今、趣味として人気の陶芸にしても同じです。(僕も一回だけ陶芸体験したことがありますが、)陶芸は、ろくろの上で指が滑ったら致命的です。ぐにゃってなります。

 

カメラは? 静止しているものや情景であれば何度も撮り直せますが、動いているものに対しては、そうはいきません。その一瞬を捕えなければなりません。シャッターチャンスは一度きりです。 

 

ではでは、やっときました。文章を書くというのはどうでしょう。今の時代ほとんどの人は、キーボート(スマホであればテンキーかな)で文章を綴ることができます。「なんか文章ミスったな」「文脈がはっきりしてないな」と思えば、Delete keyを押せばいいだけです。いっぺんに消したければ、その部分を選択してDeleteです。文の構成を変えるためのコピペも容易です。つまり、簡単にやり直すことができるのです。リライトです。即興性に長けていなくても、じっくり何度でも推敲して投稿(本番)できます。コーヒーでも飲みながらじっくりと。

 

※こんなこと言ってるのに何ですが、個人的には文章を書く時に、ある程度の即興性は大事かなと思っています。べつに時間に縛られることはないですが、ある意味短い時間で、即興的にダーーっと書き連ねる方がいい文章が書けるのではないかと思うからです。僕が敬愛する作家の村上春樹も即興的な書き方です。構成などあまり練らずに、白紙にアドリブで物語を紡いでいく作家です。

 

 僕がブログの記事を書こうと思ってキーボードの前に座るとき、よくこんな声が聞えてきます。

 

さあ、じっくり羽を広げて書いてごらんなさい。時間はたっぷりあるんですよ。後からちょこっとだけ修正もOKよ」と。僕は「はい。」と頷いて書き始めます。

 

 

Writing

 

2. 右脳ではなく、左脳で考えるタイプの人

これはホント仮説ですが、おそらく文章を書くのに向いている、ないしは充足感を覚える人というのは、物事を現実的に理性的に考えるタイプなのではないでしょうか。一つ一つ筋を追っていきながら、時間をかけてやっと腑に落ちるタイプ。いわゆる左脳タイプの人。人間がもつ表現の手段として、文字というのは一番直接的で理性的です。

 

対して、より抽象的で自分でも自分が表現していることを完全には理解していないような人は、絵とか音楽に向いているような気がするのです。より抽象度の高いものでもって、満足するタイプです。右脳タイプでしょうか。たぶん、このタイプの人からすると、小説なんかは、直接的で説明的過ぎるのではないでしょうか。それよりも、一枚の一瞬の情景でもって、現実を捉える方が好みなのではないでしょうか。

 

 

3. 「書く」以外において、自己表現の手段をもっていない人

最後はこれです。書くというのは、最も敷居の低い表現方法です。楽器が弾けなくてもいいし、絵がうまくなくてもいいし、手先が器用でなくてもいいのです。読み書きができれば表現が可能です。

 

べつに文章力がなくても、熱意をもって書けば、人にちゃんと伝わります。音楽なんかはいくら熱意があっても、音が外れていては正直聞いてられません。日本における識字率からみても、義務教育を受けた人であれば、ほとんどの人が読み書きはできるでしょう。漢字が分からなくても、今やパソコンが変換してくれるのですから。

 

 

と、まあ僕が考える「文章執筆に向いてる人」論はこんな感じです。最後はジリ貧になってしまいました・・。まあけど、文章書いてて「楽しいなー」と思える人が一番向いているんじゃないでしょうか。というオチにしておきます。 

 

最後にこんな引用で終わらせて下さい。

 

弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現在の僕におけるベストだ。付け加えることは何もない。それでも僕はこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。

 

村上春樹『風の歌を聴け』p8-9

 

はい(笑)

では。

かふか

病んでる人は、自己表現した方がいい。というか向いている。

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かふか です。

 

最近カメラを買いました。一眼レフカメラ。きっかけは他のカメラ好きな人のブログを見ていて、素敵な写真とともに文章を連ねている様がいいなあと思ったからです。

 

みんな自己表現したい。病んでいる人は向いてる。

ただ、理由はそれだけではありませんでした。結局僕はこの日常この世界を、カメラで切り取ることによって、自己表現してみたかったのです。現実をえぐってみたかった。現実をえぐれるような写真を撮る。これがカメラビギナーである僕の当面の目標です。結構大それたこと言ってるなあ。まあ、文章を綴る方が自分としては1番しっくりくるのですが。

 

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ブロガーにしろ写真家にしろ小説家にしろ芸術家にしろ、結局みんな自己表現をしたいと思っています。根底の動機はこれに尽きるのではないでしょうか。そして、心底純粋にその表現するという作業を継続できる人というのは、やはりそれを続けないとやっていけない人です。簡単に言えば、何かしら病んでいる人。病んでいるほどその負のエネルギーを使って自然と自己表現ができるのです。

 

村上   芸術家 、クリエ ートする人間というのも 、人はだれでも病んでいるという意味においては 、病んでいるということは言えますか ?

 

河合   もちろんそうです 。

 

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』Kindle版  No.989

 

 

個人的な病みを普遍化させる

今は亡き臨床心理学者の河合隼雄と村上春樹のこの対談では、さらにこう続きます。

 

村上   それにプラスして 、健常でなくてはならないのですね 。

 

河合   それは表現という形にする力を持っていないとだめだ 、ということになるでしょうね 。それと 、芸術家の人は 、時代の病とか文化の病いを引き受ける力を持っているということでしょう 。ですから 、それは個人的に病みつつも 、個人的な病いをちょっと越えるということでしょう 。個人的な病いを越えた 、時代の病いとか文化の病いというものを引き受けていることで 、その人の表現が普遍性を持ってくるのです 。

 

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』Kindle版 No.989, 994

 

うーん、なるほど、個人的な病いを超えて時代とか文化のような自分を少し超えた病いを引き受けるかあ。なかなか難しいことを。ただ、確かに著名な作家やアーティストのような人たちは、個人的な病いに普遍性を帯びさせることに成功した人なのでしょう。だから多くの人の心にささり、評価されるのです。

 

要はこれって、簡単に言うと、自分の病みをうじうじと自己顕示欲の塊だけで語るのではなく、自分からふと離れる視点を持てた人、ふと離れてそれを語る手段を得た人なんじゃないでしょうか。

 

もちろんごく稀な天才は、100%自己顕示欲の表現だけで、自ずと普遍性を帯びさせることができるのかもしれませんが。

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An Art Show Explores How Jackson Pollock Learned To Drip | The Huffington Post

※画家のジャクソン・ポロックなんかはそんな天才に思えます。

 

 

僕にはまだ自己表現に対する明確な答えを持ち合わせてないですが、ブログを書くと言う行為もたぶん、「自分の心の叫びを語りつつも、それをちょっと客觀的に見てみること考えてみること」が大切なのではないでしょうか。

 

と言いつつも、そんな事を真剣に考えていては書けそうにないので、好きなように今後も書くのですが。

 

 

以上

かふか

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

 

 

現代アートの島「直島」/ 地中美術館のジェームズ・タレルに驚いた

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かふか です。

 

現代アートの島、香川県の「直島」に行ってきました。僕は普段そこまで美術館に行く方ではないですが、「アートは実際に足を運んで、体感しろ。」と言われるのが今回でよく分かりました。ゾクっときてしまった。

 

以下に、その1作品イチオシを紹介します。

 

光の芸術家ジェームズ・タレル

僕が1番「こいつはやばい。ホンモノだ。」と思ったのが、地中美術館に展示されているジェームズ・タレルの『オープン・フィールド』という作品。

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 地中美術館 | アート | ベネッセアートサイト直島

 

この作品は一見、階段の上に青い平面があるだけのように見えますが、奥行きがありその空間の中に入れます。カメラ撮影禁止なので、言葉で説明するしかないのですが、とにかく僕は他の鑑賞者と一緒に案内人に導かれるまま中に入りました。

 

中は直方体の箱になっていて、青色の光が空間に四方八方反射し満ちていました。青色の蛍光灯が満ちた空間に僕らは呆然と立っていました。とても神秘的な空間でした。なるほど、現代アートは体感するものなんだなあと感心しました。

 

いやしかし、それだけではなかったのです。案内人に聞いたところ、僕が行き止まりと思っていた奥の平面は、実は平面でなく空間がさらに広がっているというのです。僕は思わず「え?」っと声に出してしまいました。案内人曰く、作者(と制作関係者?)以外、そのさらに先がどうなっているかは知らないといいます。ただ言えるのは、その先には空間が続いているが、目の錯覚で行き止まりの平面に見えるということだけでした。

 

その事実を知った時、その立ち入り禁止の奥は、死後の世界とか云々の虚構世界へと繋がってるんじゃないかと想像してしまったほどです。そのくらい驚きました。そう僕が感じたのも、ジェームズ・タレルの意図に、もはや含まれていたのでしょうか。

 

他にも、韓国の李禹煥というアーティストの作品に感心したのですが、僕の中では圧倒的にジェームズ・タレルが1番でした。

 

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アートは自然に帰っている

それで見終わった後、直島の自然の風景を眺めながら思ったのが、アートって今や究極の断捨離、究極のミニマリズムに向かってるのではないかということ。もうこの高度に発達し複雑に絡み合った現代社会からいかに離脱するかを志向してるんじゃないかって。「自然に帰る」の方向なんじゃないかって。

 

そしたらこの直島の風景こそが1番の作品なんじゃないかと思ったのです。「いやいやそれってなんなんだよ」と自分でも笑ってしまったのですが。

 

でも見当違いではないと思うんです。なんせ、直島自体が「自然と人間との関係を考える場所です」と謳ってるのですから。

 

結局、僕らにはもともと自然というものが既に与えられていて、それ以外は特別何もいらないのかもしれません。僕らの目の前に既に存在する「自然」こそが、1番のアートなのかもしれません。

 

 

以上

かふか 

インストバンドなら toeを聞け!!/日本の誇り/ ポストロック【名曲厳選】

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 http://blog.livedoor.jp/number3104/archives/65854686.html 

 

かふか です。

 

今回は日本が世界に誇る "toe" (トー) というインストロックバンドを紹介します。全力で紹介します。toeは、まさに音楽という名の現代アートです。(インストバンド好きの人にとっては、もはや説明不要かもしれませんが)

 

 toeが日本のバンドということを誇りに思う

 toeは現在僕が一番好きなインストバンドで、インスト界隈では世界的にも有名です。唯一無二のオリジナリティを放っています。初めて聴いた時、こんな凄い日本人バンドがいたのかと驚きました。日本の音楽も捨てたもんじゃないなと。

 

2本のギターが奏でる美しいアルペジオと、繊細かつ まるで歌ってるかのような華麗なドラミングが印象的なバンドです。"芸術"と呼ばれるにふさわしいバンドです。

 

と、まあ言葉だけでは伝わらないかと思うので、早速彼らの音楽を聴いて下さい。

 

以下、是非聴いてほしい5曲を厳選しました。

 

 「孤独の発明」

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まずtoeの代表曲の1つ「孤独の発明」

 

印象的なギターリフと繊細なドラミングで始まるこの曲。曲名の通りまさに「孤独」というものについて、何かを語りかけてくるかの様です。絶妙に重なり合う2本のギターアルペジオも然り、歌ってるかのようなドラミングも然り。素晴らしい。

 

 「むこう岸が視る夢」

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続いて、「むこう岸が視る夢」という曲。

 

イントロから「う〜ん、いやカッコ良すぎでしょ!w」と唸りたくなるドラムフレーズ。とにもかくにも、toeはドラムが素晴らし過ぎるのです。日本が世界に誇るドラマー柏倉隆史。恐るべしです。

 

静かに始まった曲調は、ブレイクと度重なる展開フレーズを経て徐々にボルテージを上げていきます。静から動へ変化を遂げる時、バンド全体の感情はむき出しとなり、音楽という名の芸術に昇華されます。

 

 「Path」

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Liveの最後に演奏する曲として、有名な「Path」

 

疾走感溢れるギターリフで始まり、序盤から超特急なこの曲。勢いよく前半を終えたかと思いきや、delayエフェクターを巧妙に使い、新たな境地へと曲を運んで行きます。

 

後半では、ここまで積み上げた構成も全て破壊するかのごとく、この世の不条理もこの世の秩序も雲散霧消される所にまで至ります。後に残ったのは、彼らが奏でた音楽の余韻だけ。

 

 「1/21」

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「1/21」という曲。

 

はじめから最後まで5分間、ほぼひたすら同じギターフレーズが繰り返される。繰り返されるにつれ、徐々に高揚感という"ゾーン"に吸い込まれていきます。何も語らない。ひたすらに奏でる。その後に見える景色は何なのでしょうか。

 

 「エソテリック」

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最後は「エソテリック」という曲。

 

何か不穏な感じで始まり、不穏なフレーズが展開されていく。この曲はtoeの中でも唯一と言っていいほど、これでもか!とギターが歪まされます。いや、歪まされる一瞬があります。露骨なギターの歪み音というのは、この曲のように、ここぞ!という時に使われるべきなのです。僕はこの曲をLiveで見ましたが、その歪みの瞬間にギター山㟢の背中に竜を見ました。 いやホントにw  冗談抜きです。

 

 「グットバイ」

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最後と言っておきながら、これを紹介しないとtoeを紹介した事にならないので、おまけです。ホントにこれで最後です。

 

おそらく世界で一番人気がある曲「グットバイ」

もう説明は入りません。聴いてください。

 

 

以上、僕が全力でオススメする日本インストロックバンド toe でした。

お読み頂きありがとうございます!

 

 

以下、僕のおすすめアルバムです。

 

toeのよさをまず知りたいなら、この二作です! 

 

最近のtoeです。

 

映像でLIVEを観たいなら、このヨーロッパツアーのDVDがおすすめ。

 

 

以上です!! 

英語多読のために村上春樹の英訳を薦める3つの理由

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かふか です。

 

僕は学生時代の留学中に村上春樹の英訳を読みまくって、英文リィーディング能力をかなりupさせました。TOEICでも900点を超えることができました。

 

僕が村上春樹の小説を元々好きだったことも大きいですが、英語学習者には村上春樹の英訳を読むことを強くお薦めします。特に「英文はある程度読めるけど、なかなか読むスピードが上がらない。多読を通して英語力を向上させたい」という方に。

 

以下にその理由を3つにまとめました。

 

 

1. 村上春樹の文章はシンプルでリズムがあり、読みやすい。これは、英訳でも同じ。

 

まず第一の理由がこれです。読んでみると分かりますが、村上春樹の文章にはあまり難しい表現が無く、シンプルで読みやすい。現代に生きる僕らにも分かりやすい言葉で書かれています。

 

他の英訳されている著名な日本人作家の文章には、日本語独特の曖昧さや華麗さがあり、読みにくかったりしますが、村上春樹は日本語の美しさなどにこだわっておらず、小説好きでなくても文章に目が追いやすいのです。このように原文の日本語に独特のニュアンスがあまりないので、英文に翻訳されても同じくシンプルで読みやすい。

 

というか、村上春樹自身がもともと日本文学が好きではなく、海外文学ばかり読んでおり、デビュー作の『風の歌を聴け』の冒頭は最初に英語で書いて、その後日本語に翻訳したくらいです。よっぽど日本語の言語空間から逃げたかったのでしょう。英訳されるために生まれた作家であるといっても過言ではありません

 

村上春樹の文章が読みやすい要因は、シンプルな文体に加えて、文章にリズムがあることが挙げられます。村上春樹自身エッセイで語っていますが、彼は文章のリズムをとても大事にしています。本人曰く、音楽(特にJazz)の流れを感じながら文を書いています。僕も彼の小説を読んでいて、確かにそれのリズムを感じます。

 

なんというか、ポン ポン ポンと文を置いていって、次へ次へと文を綴り続けていく感じです。ちょうどJazzのアドリブがいつまでも流れのままに続いていくのと同じように。

 

 

2. 原文が日本語で、翻訳された英文なので、これまた読みやすい

 

これはホントに大きいです。

 

というのも、アメリカ文学などの英語ネイティブが書いた小説に挑戦しようとしても、全て読み切るのはかなりキツいです。単に英語を読めるだけでなく、英語という言語そのもののニュアンスと英語文化の背景を理解していないと物語を読み取れないからです。

 

 対して、村上春樹の英訳はあくまで日本人によって書かれた文章であり、それが翻訳というフィルターを通してできた英文です。”ホーム”は日本なので、日本人の僕らにとって読みやすいのです

 

フィルターといっても、原文のニュアンスは変わらず楽しめるのが、村上春樹の英訳ならでは。しかも、ほぼ全作品英訳されているので英文読解のネタが切れることはないでしょう。

 

 

3. 英訳だと村上春樹嫌いな人でも読める

 

ここまでの説明を読んでも、「僕(私)、村上春樹の小説は好きじゃないんで」と言う人がいると思います。「あのクールでキザな感じがどうも・・」という人。

 

そんな方に朗報ですが、村上春樹の小説は、英文で読むと不思議とその嫌な感じを受けません。なんででしょう、英語という簡素でシステマティックな言語に変わるだけで、その嫌な感じの成分が薄まるのです。これは実際に読んで感じてもらうしかありません。是非一度、英訳を読んでみてください。

 

 

村上春樹の英訳おすすめです!

 

かふか

村上春樹の真の魅力/ 村上春樹作品は読者の心にささる

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僕の人生の隣には、いつも村上春樹作品があった 

こうして僕は村上春樹について、ああだこうだブログを書いています。

 

僕のこのモチベーションは、「何かしら自分が誰かの役に立てないか?」という問いから始まりました。

 

直感的に村上春樹について書こうと思いました。人生の良い時も悪い時も一緒に過ごした村上春樹の作品の良さを多くの人に伝えれたらと。それによって、もしかしたら誰かの助けになれるかもしれないと。

 

 

村上春樹の作品は読者の心に刺さる

世間では村上春樹の小説は、変にオシャレだとか主人公がクール過ぎるとか批判されますが、それは(その批判が正しいとしても)村上作品の真の良さに比べたら本当に小さいことに過ぎません。

 

村上春樹の真の魅力というのは、物語が読者の心の奥底にささるということです。

 

村上春樹論で有名な内田樹も自身の著作で述べていますが、村上春樹の小説は本当に人生に打ちひしがれている時にこそ、よく響くのです。理由を言葉で説明するのは難しいですが、じわぁーっと物語が読者の心を打つ。癒す。励ます。読者の背中を押してくれます。

 

参照:

myeinst.hatenablog.jp

 

 

個人的には後期作品をお薦めします。特に『海辺のカフカ』を。

そんな村上春樹の魅力を感じてもらうには、初期作品ではなく、後期作品を読むことを僕は薦めます。初期作品の物語は読者というものがあまり意識されておらず、少し置き去りにされた感じがするからです。後期作品の方が、もっと読者に対して関わろうとしています

 

 

後期作品の中だと、個人的には『海辺のカフカ』を薦めます。春樹ワールドにおいてフィクションと現実が見事に昇華され、15歳の家出少年の成長を通して、とても深く勇気づけられるからです。僕自身も何度も人生を救われてます。

 

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を村上春樹の最高傑作と呼ぶ人も多いですが、(それは一理ありますが)読後の読者の生き方に影響を与えるという意味では『海辺のカフカ』の方が勝っていると思います。どの作品が勝っていて劣っていると言うのはあまり意味がないことですが。

 

参照:

myeinst.hatenablog.jp

 

 

今の不透明な時代に必要な作家

村上春樹は、この先行き不透明で混沌とした時代に必要な作家です。

 

時代の要請に迫られて必然的に登場してきた作家だと僕は思っています。海外で読者が多いのもよく分かります。冷戦構造が崩れて以降、誰もが明確に分かる指針や理想が無くなり、どう生きていけばいいのかを各個人で決めていかねばならない。村上春樹の小説は、そんな時代に生きる世界中の人々の心にささるのです。

 

村上春樹の作品はある意味で、どんな自己啓発本や言葉よりも、深く読者の心に届くものだと信じています。そんな村上春樹について今後もあれこれとブログを書いていきたいと思います。

 

 

かふか

村上春樹『海辺のカフカ』感想文 / 僕を救ってくれた小説

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人の心を救済する、そんな力をもつ物語

僕は、ある絶望の淵をさまよっていた時に、村上春樹の『海辺のカフカ』という小説に心救われました。それ以降、何かで人生つまずくたびに、どん底にいくたびにこの本を手にとります。 

僕が身をもって体験している通り、『海辺のカフカ』の物語には、乾ききった人の心を救済する力があります

よくある自己啓発本のように、はっきりとした人生の回答を与えてくれる訳ではありません。ただ、直接的ではないにせよ、僕はこの小説に何か生きる勇気をもらうのです。是非、心悩み苦しんでいる人には手にとって読んでほしいと思います。

 

 簡単なあらすじ

海辺のカフカ』を含め、村上春樹の小説はとにかく読んでもらわないと、いくら僕が語ってもその良さは分かってもらえないと思いますが、以下に簡単なあらすじを綴っておきます。

 

15歳の家出少年

主人公は、内省的で自意識的なものに悩む「田村カフカ」という15歳の少年です。この少年が東京を出て四国へ家出しようと決意する、という所から物語は始まります。

東京から遠く離れた場所へ行き、何か自分にとって大切なものを見つけ出そうとします。四国で様々な人と出会い、困難をくぐり抜け、成長していきます。

15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。

なんだかおとぎ話みたいに聞こえるかもしれない。でもそれはおとぎ話じゃない。どんな意味合いにおいても。

上巻p12-13

 

「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年にならなくちゃいけないんだ。なにがあろうとさ。そうする以外に君がこの世界を生きのびていく道はないんだからね。」

上巻p11

 

ナカタさんという老人

この小説は2つの別々のストーリーが各章ごとに交互に展開される構成になっており、もう一方のストーリーは、知能障害をもった「ナカタさん」という老人の話です。 

 ナカタさんは、猫と話せます。まさに春樹ワールド。

「なかなか良いお天気でありますね」

「ああ」と猫は言った。

上巻p92

「えーと、それで、あんたは......ナカタさんっていうんだね」

「そうです。ナカタと申します。猫さん、あなたは?」

上巻p93-94

 ナカタさんという人物を、一言で表すとしたら、この世界の純粋さを集約した存在だと僕は思います。純粋で清らかすぎる心であるがために、矛盾と不条理に満ちたこの世界に適応できません。知的障害というレッテルを貼られて社会から疎外されています。

ただ、その代償として猫と喋ることができます。虚構(フィクション)という世界へ足を踏み入れる事ができる。村上作品の中でも希有なこの「ナカタさん」というキャラクターが物語進行の大きなキーとなっており、この小説の深みとなっています。

 

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 これら2つの別々のストーリーが物語を追うごとに徐々にクロスし、一気に終盤へと向かいます。現実と虚構に満ちた春樹ワールドを15歳の家出少年が駆け抜けていきます。

 

風の音を聞く。それは生きるということ。

色々な人と出会い、様々な出来事をくぐり抜けた15歳の少年でしたが、物語の最後で

 

「でも僕にはまだ生きるということの意味がわからないんだ」

下巻 p528

 

 と、大島さん (この物語の少年の指南役) に問いかけます。 

大島さんは、

 

 「風の音を聞くんだ」

下巻 p528

 

 と答えます。 

 

このラストシーンは『海辺のカフカ』の、いや、もはや村上作品の全てを物語っています。風の音を聞く。自分の内なる心に耳を澄ませる。生きるとはそういう事なのではないでしょうか

 "風の音を聴く" というのは、村上春樹自身の一貫した人生観だと僕は思っています。人生色々困難や悩みがあるかもしれないが、風の音に耳を澄ませるという諸行無常的な生き方。興味深いことに、村上春樹のデビュー作のタイトルは『風の歌を聴けなのです。 

参考までに:

myeinst.hatenablog.jp

 

是非実際に手にとって読んでみてください

海辺のカフカ』は、村上春樹代表作であり、海外での評価も高いです。家出少年の成長記として物語を追う事ができるため、読みやすい。かつ、春樹ワールドも堪能できます。僕がこの小説に心救われたように、人生で何か悩んだり躓いたりしている人には是非お薦めします

 

この物語を読み終わった時、どんなカウンセリングを受けるよりも、どんな自己啓発本を読むよりも、無意識の領域において"生きる勇気" をもらえるでしょう