かふかログ

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

現代アートの島「直島」/ 地中美術館のジェームズ・タレルに驚いた

アート

 f:id:myeinst:20170114230303j:image

かふか です。

 

現代アートの島、香川県の「直島」に行ってきました。僕は普段そこまで美術館に行く方ではないですが、「アートは実際に足を運んで、体感しろ。」と言われるのが今回でよく分かりました。ゾクっときてしまった。

 

以下に、その1作品イチオシを紹介します。

 

光の芸術家ジェームズ・タレル

僕が1番「こいつはやばい。ホンモノだ。」と思ったのが、地中美術館に展示されているジェームズ・タレルの『オープン・フィールド』という作品。

 f:id:myeinst:20170114220850j:image

 地中美術館 | アート | ベネッセアートサイト直島

 

この作品は一見、階段の上に青い平面があるだけのように見えますが、奥行きがありその空間の中に入れます。カメラ撮影禁止なので、言葉で説明するしかないのですが、とにかく僕は他の鑑賞者と一緒に案内人に導かれるまま中に入りました。

 

中は直方体の箱になっていて、青色の光が空間に四方八方反射し満ちていました。青色の蛍光灯が満ちた空間に僕らは呆然と立っていました。とても神秘的な空間でした。なるほど、現代アートは体感するものなんだなあと感心しました。

 

いやしかし、それだけではなかったのです。案内人に聞いたところ、僕が行き止まりと思っていた奥の平面は、実は平面でなく空間がさらに広がっているというのです。僕は思わず「え?」っと声に出してしまいました。案内人曰く、作者(と制作関係者?)以外、そのさらに先がどうなっているかは知らないといいます。ただ言えるのは、その先には空間が続いているが、目の錯覚で行き止まりの平面に見えるということだけでした。

 

その事実を知った時、その立ち入り禁止の奥は、死後の世界とか云々の虚構世界へと繋がってるんじゃないかと想像してしまったほどです。そのくらい驚きました。そう僕が感じたのも、ジェームズ・タレルの意図に、もはや含まれていたのでしょうか。

 

他にも、韓国の李禹煥というアーティストの作品に感心したのですが、僕の中では圧倒的にジェームズ・タレルが1番でした。

 

f:id:myeinst:20170114230135j:image

 

アートは自然に帰っている

それで見終わった後、直島の自然の風景を眺めながら思ったのが、アートって今や究極の断捨離、究極のミニマリズムに向かってるのではないかということ。もうこの高度に発達し複雑に絡み合った現代社会からいかに離脱するかを志向してるんじゃないかって。「自然に帰る」の方向なんじゃないかって。

 

そしたらこの直島の風景こそが1番の作品なんじゃないかと思ったのです。「いやいやそれってなんなんだよ」と自分でも笑ってしまったのですが。

 

でも見当違いではないと思うんです。なんせ、直島自体が「自然と人間との関係を考える場所です」と謳ってるのですから。

 

結局、僕らにはもともと自然というものが既に与えられていて、それ以外は特別何もいらないのかもしれません。僕らの目の前に既に存在する「自然」こそが、1番のアートなのかもしれません。

 

 

以上

かふか 

映画『君の名は。』を見て、村上春樹を思った / "セカイ系" という共通点

村上春樹 映画

f:id:myeinst:20161223160445j:image

http://www.kiminona.com/index.html

※ネタバレ少しあり

 

かふか です。

 

今さらながら、映画『君の名は。』を見てきました。普段そこまで映画は見ないのですが、これだけは見ておかないと2016年という年を越せないと急に思ったからです。 

 

 『君の名は。』と村上春樹作品は、ともにセカイ系

で、とりあえず『君の名は。』を見て、その映像美や斬新なストーリー展開に感動したのですが、それ以上に見終わった後、この映画の世界観と村上春樹の世界観の共通点に思いを馳せてしまいました。

 

『君の名は。』のような世界観を世間では "セカイ系" と呼ばれています。最近の日本アニメーション映画に顕著なこの世界観、この言葉は一度でも耳にした事があるのではないでしょうか。

 

セカイ系の定義は、Wikipediaによると

 「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」

 

「具体的な中間項を挟むことなく」とは国家や国際機関、社会やそれに関わる人々がほとんど描写されることなく、主人公たちの行為や危機感がそのまま「世界の危機」にシンクロして描かれることを指す。

 

Wikipedia

 

ということです。

 

これを『君の名は。』 でいうと、「お互いに入れ替わる 瀧と三葉という2人の個人的問題が、隕石衝突という1つの"世界の危機"を巡り展開されていく」という事になります。

 

そして、村上春樹でいうと、まさに『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 の物語です。主人公《僕》の周りで起こる物事が、社会の出来事や歴史などをスッと飛ばして、直接世界の終りへと繋がる物語だからです。

 

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 上巻 (新潮文庫 む 5-4)

 

 

 

 村上春樹の小説は全てセカイ系

というか『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に限らず、『羊をめぐる冒険』も『ノルウェイの森』も『海辺のカフカ』も『1Q84』も、村上春樹の小説には "セカイ系" がその物語の根底に流れています。どの小説も基本的に、一般社会とは距離をとっている個人的な生き方を貫いている主人公が、その自我を世界の果てへと繋げていく物語だからです。

 

 

セカイ系は、今に生きる僕らの社会に近い

このように考えていくと、『君の名は。』のような映画や村上春樹の小説が現代の人々の共感を呼ぶのも分かります。

 

現代を生きる僕らは、インターネットや高度に発達した科学技術によって、自分の思考・行為を世界のどこにでも届けることができます。自分の考えを世界に発信したければ、インターネット上のSNSやブログで発信すればいいし、世界の果てのような島に行きたければポチッと航空チケットを買えばいいだけです。

 

 ただ、そのような個人が社会的規制やフィルター無しに、世界へ"むき出し" にされている状況は、自由であると同時に生きづらかったりします。

 

そんな僕らのモヤモヤ感に対して『君の名は。』や村上春樹の小説は、直接的では無いにせよ、何か訴えかけてくるものがあるのです。

 

 

以上、『君の名は。』を見てこんな事を思いました。

かふか

インストバンドなら toeを聞け!!/日本の誇り/ ポストロック【名曲厳選】

音楽

f:id:myeinst:20161210194129j:image

 http://blog.livedoor.jp/number3104/archives/65854686.html 

 

かふか です。

 

今回は日本が世界に誇る "toe" (トー) というインストロックバンドを紹介します。全力で紹介します。toeは、まさに音楽という名の現代アートです。(インストバンド好きの人にとっては、もはや説明不要かもしれませんが)

 

 toeが日本のバンドということを誇りに思う

 toeは現在僕が一番好きなインストバンドで、インスト界隈では世界的にも有名です。唯一無二のオリジナリティを放っています。初めて聴いた時、こんな凄い日本人バンドがいたのかと驚きました。日本の音楽も捨てたもんじゃないなと。

 

2本のギターが奏でる美しいアルペジオと、繊細かつ まるで歌ってるかのような華麗なドラミングが印象的なバンドです。"芸術"と呼ばれるにふさわしいバンドです。

 

と、まあ言葉だけでは伝わらないかと思うので、早速彼らの音楽を聴いて下さい。

 

以下、是非聴いてほしい5曲を厳選しました。

 

 「孤独の発明」

youtu.be

まずtoeの代表曲の1つ「孤独の発明」

 

印象的なギターリフと繊細なドラミングで始まるこの曲。曲名の通りまさに「孤独」というものについて、何かを語りかけてくるかの様です。絶妙に重なり合う2本のギターアルペジオも然り、歌ってるかのようなドラミングも然り。素晴らしい。

 

 「むこう岸が視る夢」

youtu.be

続いて、「むこう岸が視る夢」という曲。

 

イントロから「う〜ん、いやカッコ良すぎでしょ!w」と唸りたくなるドラムフレーズ。とにもかくにも、toeはドラムが素晴らし過ぎるのです。日本が世界に誇るドラマー柏倉隆史。恐るべしです。

 

静かに始まった曲調は、ブレイクと度重なる展開フレーズを経て徐々にボルテージを上げていきます。静から動へ変化を遂げる時、バンド全体の感情はむき出しとなり、音楽という名の芸術に昇華されます。

 

 「Path」

youtu.be

Liveの最後に演奏する曲として、有名な「Path」

 

疾走感溢れるギターリフで始まり、序盤から超特急なこの曲。勢いよく前半を終えたかと思いきや、delayエフェクターを巧妙に使い、新たな境地へと曲を運んで行きます。

 

後半では、ここまで積み上げた構成も全て破壊するかのごとく、この世の不条理もこの世の秩序も雲散霧消される所にまで至ります。後に残ったのは、彼らが奏でた音楽の余韻だけ。

 

 「1/21」

youtu.be

「1/21」という曲。

 

はじめから最後まで5分間、ほぼひたすら同じギターフレーズが繰り返される。繰り返されるにつれ、徐々に高揚感という"ゾーン"に吸い込まれていきます。何も語らない。ひたすらに奏でる。その後に見える景色は何なのでしょうか。

 

 「エソテリック」

youtu.be

最後は「エソテリック」という曲。

 

何か不穏な感じで始まり、不穏なフレーズが展開されていく。この曲はtoeの中でも唯一と言っていいほど、これでもか!とギターが歪まされます。いや、歪まされる一瞬があります。露骨なギターの歪み音というのは、この曲のように、ここぞ!という時に使われるべきなのです。僕はこの曲をLiveで見ましたが、その歪みの瞬間にギター山㟢の背中に竜を見ました。 いやホントにw  冗談抜きです。

 

 「グットバイ」

youtu.be

最後と言っておきながら、これを紹介しないとtoeを紹介した事にならないので、おまけです。ホントにこれで最後です。

 

おそらく世界で一番人気がある曲「グットバイ」

もう説明は入りません。聴いてください。

 

 

以上、僕が全力でオススメする日本インストロックバンド toe でした。

お読み頂きありがとうございます!

 

かふか 

 

※toeへの熱い思い、こちらの記事でも語ってます。

myeinst.hatenablog.jp

 

村上龍が語る村上春樹の魅力/ なぜ村上春樹は多くの人に読まれるのか?

村上春樹

Shell

かふか です。

 

村上春樹は世間で色々と批判されたり、逆にその魅力が語られたりしてますが、その中でも僕が1番興味深いと思う考察は、村上龍によるものです。今回はそれを紹介します。

 

 爆笑問題の太田は、村上春樹が大嫌い

突然ですが、お笑いコンビ爆笑問題の太田さんを知ってますか?よくテレビに出てるあのひょろっとした人。彼は小説が好きな芸人としてかなり有名で、毎月数十冊の小説を読むそうです。特に太宰治が好きらしい。

 

そんな彼は、村上春樹が大嫌いなのです。村上作品の主人公のあのクールで喜怒哀楽がない感じがどうも嫌いなのだと言います。うん、分からなくもないですが・・笑

 

太田は「村上春樹のどこがつまらないのか?」という事をラジオで延々と語っています。村上春樹ファンの僕としても、非常に興味深く、面白く聞けます。

 

 

村上龍:「村上春樹は最大公約数が大きい」

youtu.be

 

そのラジオの中で、村上春樹と奇しくも苗字が同じで、同世代作家の村上龍をゲストに迎えて、村上春樹について議論しているのがこの動画です。この中で村上龍が村上春樹について語っています。その考察がとても鋭いのです。

※動画5:00くらいまで

 

村上春樹の小説の一体どこが良いのか?なぜそんなに世界中で読まれているのか? という爆笑問題の太田の疑問に対し、村上龍はこう答えます。

 

「春樹さんは、すごく一般的なことを書いているから。最大公約数が大きいから」と。

 

僕はこれ聞いたとき思わず唸ってしまいました。なるほどと。その通りだと。

 

「一般的なこと」というのは村上龍曰く《自意識のゆれ》です。自分とは何だろう?とか この世界は何なんだろう?といった感じの疑問。自分がこの世界のどこに行けばいいのか、どこにたどり着けるのかという類の葛藤。

 

僕も同意ですが、村上春樹はひたすらこの《自意識のゆれ》を小説の中で描いてます。この矛盾と混沌に満ちた世界の中で自分はどう生きればいいのか?という問いに、直接的でないにせよ、物語を通して語っている気がするのです。物語という比喩を通して、とてもうまく。

 

そしてこの《ゆれ》は世界中の誰しも持っているものです。言語も人種も関係ない。最大公約数が大きいのです。だから村上春樹は世界中で読まれる。

 

さすが同じ小説家だけあって、鋭い考察をするなあと感心してしまいました。同時に、僕がなぜ村上春樹の小説に手を伸ばしてしまうのか少し分かった様な気がしました。

 

以上

かふか

英語多読のために村上春樹の英訳を薦める3つの理由

村上春樹

.read

かふか です。

 

僕は学生時代の留学中に村上春樹の英訳を読みまくって、英文リィーディング能力をかなりupさせました。TOEICでも900点を超えることができました。

 

僕が村上春樹の小説を元々好きだったことも大きいですが、英語学習者には村上春樹の英訳を読むことを強くお薦めします。特に「英文はある程度読めるけど、なかなか読むスピードが上がらない。多読を通して英語力を向上させたい」という方に。

 

以下にその理由を3つにまとめました。

 

 

1. 村上春樹の文章はシンプルでリズムがあり、読みやすい。これは、英訳でも同じ。

 

まず第一の理由がこれです。読んでみると分かりますが、村上春樹の文章にはあまり難しい表現が無く、シンプルで読みやすい。現代に生きる僕らにも分かりやすい言葉で書かれています。

 

他の英訳されている著名な日本人作家の文章には、日本語独特の曖昧さや華麗さがあり、読みにくかったりしますが、村上春樹は日本語の美しさなどにこだわっておらず、小説好きでなくても文章に目が追いやすいのです。このように原文の日本語に独特のニュアンスがあまりないので、英文に翻訳されても同じくシンプルで読みやすい。

 

というか、村上春樹自身がもともと日本文学が好きではなく、海外文学ばかり読んでおり、デビュー作の『風の歌を聴け』の冒頭は最初に英語で書いて、その後日本語に翻訳したくらいです。よっぽど日本語の言語空間から逃げたかったのでしょう。英訳されるために生まれた作家であるといっても過言ではありません

 

村上春樹の文章が読みやすい要因は、シンプルな文体に加えて、文章にリズムがあることが挙げられます。村上春樹自身エッセイで語っていますが、彼は文章のリズムをとても大事にしています。本人曰く、音楽(特にJazz)の流れを感じながら文を書いています。僕も彼の小説を読んでいて、確かにそれのリズムを感じます。

 

なんというか、ポン ポン ポンと文を置いていって、次へ次へと文を綴り続けていく感じです。ちょうどJazzのアドリブがいつまでも流れのままに続いていくのと同じように。

 

 

2. 原文が日本語で、翻訳された英文なので、これまた読みやすい

 

これはホントに大きいです。

 

というのも、アメリカ文学などの英語ネイティブが書いた小説に挑戦しようとしても、全て読み切るのはかなりキツいです。単に英語を読めるだけでなく、英語という言語そのもののニュアンスと英語文化の背景を理解していないと物語を読み取れないからです。

 

 対して、村上春樹の英訳はあくまで日本人によって書かれた文章であり、それが翻訳というフィルターを通してできた英文です。”ホーム”は日本なので、日本人の僕らにとって読みやすいのです

 

フィルターといっても、原文のニュアンスは変わらず楽しめるのが、村上春樹の英訳ならでは。しかも、ほぼ全作品英訳されているので英文読解のネタが切れることはないでしょう。

 

 

3. 英訳だと村上春樹嫌いな人でも読める

 

ここまでの説明を読んでも、「僕(私)、村上春樹の小説は好きじゃないんで」と言う人がいると思います。「あのクールでキザな感じがどうも・・」という人。

 

そんな方に朗報ですが、村上春樹の小説は、英文で読むと不思議とその嫌な感じを受けません。なんででしょう、英語という簡素でシステマティックな言語に変わるだけで、その嫌な感じの成分が薄まるのです。これは実際に読んで感じてもらうしかありません。是非一度、英訳を読んでみてください。

 

 

村上春樹の英訳おすすめです!

 

かふか

村上春樹の真の魅力/ 村上春樹作品は読者の心にささる

村上春樹

DSCF6284

 

僕の人生の隣には、いつも村上春樹作品があった 

こうして僕は村上春樹について、ああだこうだブログを書いています。

 

僕のこのモチベーションは、「何かしら自分が誰かの役に立てないか?」という問いから始まりました。

 

直感的に村上春樹について書こうと思いました。人生の良い時も悪い時も一緒に過ごした村上春樹の作品の良さを多くの人に伝えれたらと。それによって、もしかしたら誰かの助けになれるかもしれないと。

 

 

村上春樹の作品は読者の心に刺さる

世間では村上春樹の小説は、変にオシャレだとか主人公がクール過ぎるとか批判されますが、それは(その批判が正しいとしても)村上作品の真の良さに比べたら本当に小さいことに過ぎません。

 

村上春樹の真の魅力というのは、物語が読者の心の奥底にささるということです。

 

村上春樹論で有名な内田樹も自身の著作で述べていますが、村上春樹の小説は本当に人生に打ちひしがれている時にこそ、よく響くのです。理由を言葉で説明するのは難しいですが、じわぁーっと物語が読者の心を打つ。癒す。励ます。読者の背中を押してくれます。

 

参照:

myeinst.hatenablog.jp

 

 

個人的には後期作品をお薦めします。特に『海辺のカフカ』を。

そんな村上春樹の魅力を感じてもらうには、初期作品ではなく、後期作品を読むことを僕は薦めます。初期作品の物語は読者というものがあまり意識されておらず、少し置き去りにされた感じがするからです。後期作品の方が、もっと読者に対して関わろうとしています

 

 

後期作品の中だと、個人的には『海辺のカフカ』を薦めます。春樹ワールドにおいてフィクションと現実が見事に昇華され、15歳の家出少年の成長を通して、とても深く勇気づけられるからです。僕自身も何度も人生を救われてます。

 

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を村上春樹の最高傑作と呼ぶ人も多いですが、(それは一理ありますが)読後の読者の生き方に影響を与えるという意味では『海辺のカフカ』の方が勝っていると思います。どの作品が勝っていて劣っていると言うのはあまり意味がないことですが。

 

参照:

myeinst.hatenablog.jp

 

 

今の不透明な時代に必要な作家

村上春樹は、この先行き不透明で混沌とした時代に必要な作家です。

 

時代の要請に迫られて必然的に登場してきた作家だと僕は思っています。海外で読者が多いのもよく分かります。冷戦構造が崩れて以降、誰もが明確に分かる指針や理想が無くなり、どう生きていけばいいのかを各個人で決めていかねばならない。村上春樹の小説は、そんな時代に生きる世界中の人々の心にささるのです。

 

村上春樹の作品はある意味で、どんな自己啓発本や言葉よりも、深く読者の心に届くものだと信じています。そんな村上春樹について今後もあれこれとブログを書いていきたいと思います。

 

 

かふか

村上春樹『羊をめぐる冒険』感想文/ 村上春樹が本気で書き始めた作品

村上春樹

f:id:myeinst:20170122222204j:image

 

村上春樹が本格的に長編小説に歩みを切った作品

『羊をめぐる冒険』は、鼠と主人公《僕》をめぐる村上春樹初期三部作の三作目にあたります。

 

『羊をめぐる冒険』を書くにあたり、村上春樹は長年経営してきたジャズ喫茶「ピーターキャット」を友人に譲り、専業作家として歩み始めます。後のライフワークであり彼の人生哲学にまで至るランニング《走るということ》を始めたのもこの時期です。

 

このような経緯もあってか、本作には『風の歌を聴け』や『1973年のピンボール』には見られなかった「物語を書くんだ」という意気込みが感じられます。きちんと一つの長編小説として物語を構築するんだという意志です。

 

参照:myeinst.hatenablog.jp

 

文体も前二作よりも冗長さが減り、少しタイトになっています。とにかく書きたいようになんでもいいから書くという意識から、読者というものを前にして、少しずつ言葉を選び始めました

 

基本的に『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』と同様に現代の空虚感を描いていること変わりはありませんが、本作ではそこから何か掴み取りたいという意志が感じられます。主人公の《僕》が羊を探すのと同じように。

 

 

春樹ワールドの現れ

又、非現実的な人物をリアルに描き出すあたりは、春樹ワールドが既に本作品において現れています。現実ではありえない人物設定ですが、いとも簡単に現実と虚構の境界線を超えてしまいます

 

上巻では、現実とフィクションの狭間で《僕》の羊をめぐる冒険が始まります。

 

 

 

↓下巻の感想は以下です↓
※結末ネタバレあり

 

Sheep


主人公《僕》、ひいては村上春樹の0の出発点

読後ほんとに何と形容していいのか言葉選びに苦しむ作品ですが、羊をめぐって、結局《僕》はどこにたどり着いたのでしょうか? どこにもたどり着いてないかもしれないし、どこかにたどり着いたのかもしれない。

 

ただ、1つの言えるのは《僕》と鼠の物語は終わったということです。1つの時代が終わったということ。鼠は何かしらこの "現代の歪み" のようなものによって自死しました。彼の死はその象徴のように思えます。

 

そして《僕》はこの鼠の死を受けて、以後生きていくことになります。《僕》は今までの人生の中で様々なものを失ってきました。最後に友である鼠をも失いました。失い続けた果てで、《僕》はこの0の地点から出発することになります。

 

これは村上春樹自身が本格的に小説家として出発した地点と同じに思えてなりません。この地点から世界にコミット(関与)する地平線へと向かっていきます。本当の意味で、村上春樹の作家人生はこの『羊をめぐる冒険』から始まったのです

  

以上

かふか 

村上春樹『風の歌を聴け』感想文/ 村上春樹の才能が冒頭数ページで分かる

村上春樹

f:id:myeinst:20170122214832j:image

 

村上春樹の記念碑的作品であり、宣戦布告の作品

完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。(p1)

 
この言わずと知れた書き出しで始まる『風の歌を聴け』は、村上春樹のデビュー作です。今や世界中で読まれている村上作品の中では記念碑的なものとなっています。
 
現在に至るまでの村上春樹作品を読んでから、このデビュー作を改めて読むとまさにその感を強くします。特に鼠が登場するまでの冒頭の数十ページは、初期村上春樹のエッセンスの凝縮であり、彼の文章を書くということに対する宣戦布告のようにも見えます。
 
文章がきれまくっており、殴り書くように書きたいように書いたという印象を受けます。現在の村上春樹の文体と比べると、とても挑戦的です。
 
例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない (p1)
 
この鋭利で唐突な比喩を当時の文壇はどう消化したのでしょうか。
 
1979年にこの本が世に出た時、(当時の芥川賞選考委員の丸谷才一が言った通り)この作品は「一つの事件」でした。この乾ききった挑戦的な小説は日本文学界において異端でした。
 
 

”書くことがない”ということが書かれた小説

『風の歌を聴け』という小説は、まさに  "書くことがない"  ということが書かれています
 
戦後から1960年代に至るまで、若者が学生運動などで理想へと向かっていた時代は終わりを告げ、世界の目に見える形での対立もまもなく終わろうとしていました。若者にとって思想、理想は無く精神的土壌は焦土と化していました。
 
その空っぽな時代の始まりを、この村上春樹という29歳はこのデビュー作でうまく表現したのです。いや、空っぽな時代の始まりというより、もしかすると初めから何も無かったのかもしれません。
 
「でも結局はみんな死ぬ。」僕は試しにそう言ってみた。(p17)
 
この虚無的感覚がこの作品を含む初期村上春樹の作品において徹底的に貫かれています。
 
何もないということ。何も書くべきことがないということ。なので、とりあえずビールを飲むということ。そして少しのブラックユーモア。
 
このひたすら厭世的な中で、冒頭において僕が1番好きな一節があります。
 
弁解するつもりはない。少なくともここに語られていることは現在の僕におけるベストだ。付け加えることは何もない。それでも僕はこんな風にも考えている。うまくいけばずっと先に、何年か何十年か先に、救済された自分を発見することができるかもしれない、と。そしてその時、象は平原に還り僕はより美しい言葉で世界を語り始めるだろう。(p8-9)
 
『風の歌を聴け』が刊行されてから、30年以上経つ今、村上春樹という作家は確かに平原に還ったように思えてなりません。
 
 
以上。 
かふか

 

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

 

 

 
 
 

村上春樹『海辺のカフカ』感想文 / 僕を救ってくれた小説

村上春樹

f:id:myeinst:20170122204032j:image

 

人の心を救済する、そんな力をもつ物語

僕は、ある絶望の淵をさまよっていた時に、村上春樹の『海辺のカフカ』という小説に心救われました。それ以降、何かで人生つまずくたびに、どん底にいくたびにこの本を手にとります。 

僕が身をもって体験している通り、『海辺のカフカ』の物語には、乾ききった人の心を救済する力があります

よくある自己啓発本のように、はっきりとした人生の回答を与えてくれる訳ではありません。ただ、直接的ではないにせよ、僕はこの小説に何か生きる勇気をもらうのです。是非、心悩み苦しんでいる人には手にとって読んでほしいと思います。

 

 簡単なあらすじ

『海辺のカフカ』を含め、村上春樹の小説はとにかく読んでもらわないと、いくら僕が語ってもその良さは分かってもらえないと思いますが、以下に簡単なあらすじを綴っておきます。

 

15歳の家出少年

主人公は、内省的で自意識的なものに悩む「田村カフカ」という15歳の少年です。この少年が東京を出て四国へ家出しようと決意する、という所から物語は始まります。

東京から遠く離れた場所へ行き、何か自分にとって大切なものを見つけ出そうとします。四国で様々な人と出会い、困難をくぐり抜け、成長していきます。

15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。

なんだかおとぎ話みたいに聞こえるかもしれない。でもそれはおとぎ話じゃない。どんな意味合いにおいても。

上巻p12-13

 

「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年にならなくちゃいけないんだ。なにがあろうとさ。そうする以外に君がこの世界を生きのびていく道はないんだからね。」

上巻p11

 

ナカタさんという老人

この小説は2つの別々のストーリーが各章ごとに交互に展開される構成になっており、もう一方のストーリーは、知能障害をもった「ナカタさん」という老人の話です。 

 ナカタさんは、猫と話せます。まさに春樹ワールド。

「なかなか良いお天気でありますね」

「ああ」と猫は言った。

上巻p92

「えーと、それで、あんたは......ナカタさんっていうんだね」

「そうです。ナカタと申します。猫さん、あなたは?」

上巻p93-94

 ナカタさんという人物を、一言で表すとしたら、この世界の純粋さを集約した存在だと僕は思います。純粋で清らかすぎる心であるがために、矛盾と不条理に満ちたこの世界に適応できません。知的障害というレッテルを貼られて社会から疎外されています。

ただ、その代償として猫と喋ることができます。虚構(フィクション)という世界へ足を踏み入れる事ができる。村上作品の中でも希有なこの「ナカタさん」というキャラクターが物語進行の大きなキーとなっており、この小説の深みとなっています。

 

DSCF6284

 これら2つの別々のストーリーが物語を追うごとに徐々にクロスし、一気に終盤へと向かいます。現実と虚構に満ちた春樹ワールドを15歳の家出少年が駆け抜けていきます。

 

風の音を聞く。それは生きるということ。

色々な人と出会い、様々な出来事をくぐり抜けた15歳の少年でしたが、物語の最後で

 

「でも僕にはまだ生きるということの意味がわからないんだ」

下巻 p528

 

 と、大島さん (この物語の少年の指南役) に問いかけます。 

大島さんは、

 

 「風の音を聞くんだ」

下巻 p528

 

 と答えます。 

 

このラストシーンは『海辺のカフカ』の、いや、もはや村上作品の全てを物語っています。風の音を聞く。自分の内なる心に耳を澄ませる。生きるとはそういう事なのではないでしょうか

 "風の音を聴く" というのは、村上春樹自身の一貫した人生観だと僕は思っています。人生色々困難や悩みがあるかもしれないが、風の音に耳を澄ませるという諸行無常的な生き方。興味深いことに、村上春樹のデビュー作のタイトルは『風の歌を聴けなのです。 

参考までに:

myeinst.hatenablog.jp

 

是非実際に手にとって読んでみてください

『海辺のカフカ』は、村上春樹の代表作であり、海外での評価も高いです。家出少年の成長記として物語を追う事ができるため、読みやすい。かつ、春樹ワールドも堪能できます。僕がこの小説に心救われたように、人生で何か悩んだり躓いたりしている人には是非お薦めします

 

この物語を読み終わった時、どんなカウンセリングを受けるよりも、どんな自己啓発本を読むよりも、無意識の領域において"生きる勇気" をもらえるでしょう

 

かふか

 

参考:村上春樹の真の魅力/ 村上春樹作品は読者の心にささる - かふかログ

  【自己紹介】かふか って何者? - かふかログ