かふかログ

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病んでる人は、自己表現した方がいい。というか向いている。

雑感

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かふか です。

 

最近カメラを買いました。一眼レフカメラ。きっかけは他のカメラ好きな人のブログを見ていて、素敵な写真とともに文章を連ねている様がいいなあと思ったからです。

 

みんな自己表現したい。病んでいる人は向いてる。

ただ、理由はそれだけではありませんでした。結局僕はこの日常この世界を、カメラで切り取ることによって、自己表現してみたかったのです。現実をえぐってみたかった。現実をえぐれるような写真を撮る。これがカメラビギナーである僕の当面の目標です。結構大それたこと言ってるなあ。まあ、文章を綴る方が自分としては1番しっくりくるのですが。

 

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ブロガーにしろ写真家にしろ小説家にしろ芸術家にしろ、結局みんな自己表現をしたいと思っています。根底の動機はこれに尽きるのではないでしょうか。そして、心底純粋にその表現するという作業を継続できる人というのは、やはりそれを続けないとやっていけない人です。簡単に言えば、何かしら病んでいる人。病んでいるほどその負のエネルギーを使って自然と自己表現ができるのです。

 

村上   芸術家 、クリエ ートする人間というのも 、人はだれでも病んでいるという意味においては 、病んでいるということは言えますか ?

 

河合   もちろんそうです 。

 

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』Kindle版  No.989

 

 

個人的な病みを普遍化させる

今は亡き臨床心理学者の河合隼雄と村上春樹のこの対談では、さらにこう続きます。

 

村上   それにプラスして 、健常でなくてはならないのですね 。

 

河合   それは表現という形にする力を持っていないとだめだ 、ということになるでしょうね 。それと 、芸術家の人は 、時代の病とか文化の病いを引き受ける力を持っているということでしょう 。ですから 、それは個人的に病みつつも 、個人的な病いをちょっと越えるということでしょう 。個人的な病いを越えた 、時代の病いとか文化の病いというものを引き受けていることで 、その人の表現が普遍性を持ってくるのです 。

 

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』Kindle版 No.989, 994

 

うーん、なるほど、個人的な病いを超えて時代とか文化のような自分を少し超えた病いを引き受けるかあ。なかなか難しいことを。ただ、確かに著名な作家やアーティストのような人たちは、個人的な病いに普遍性を帯びさせることに成功した人なのでしょう。だから多くの人の心にささり、評価されるのです。

 

要はこれって、簡単に言うと、自分の病みをうじうじと自己顕示欲の塊だけで語るのではなく、自分からふと離れる視点を持てた人、ふと離れてそれを語る手段を得た人なんじゃないでしょうか。

 

もちろんごく稀な天才は、100%自己顕示欲の表現だけで、自ずと普遍性を帯びさせることができるのかもしれませんが。

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An Art Show Explores How Jackson Pollock Learned To Drip | The Huffington Post

※画家のジャクソン・ポロックなんかはそんな天才に思えます。

 

 

僕にはまだ自己表現に対する明確な答えを持ち合わせてないですが、ブログを書くと言う行為もたぶん、「自分の心の叫びを語りつつも、それをちょっと客觀的に見てみること考えてみること」が大切なのではないでしょうか。

 

と言いつつも、そんな事を真剣に考えていては書けそうにないので、好きなように今後も書くのですが。

 

 

以上

かふか

村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

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