かふかログ

村上春樹にみる書評の書き方/ あらすじの羅列に何の意味があるのか?

diary writing

かふか です。

 

多くの人がブログなどで書評を書いています。僕自身も含めて。

今回はそんな書評の書き方について、僕の考えを書いてみたいと思います。

 

"エモく"ない書評は好きではない

僕が見る限り、少なくない数の書評が単なるあらすじの羅列になっている気がします。あらすじをとりあえず並べて、最後にちょこっと自分の感想を書いて、それで満足気に「どうですかこの本?」みたいな書評。

 

いや、別に人それぞれの自由なのでどんな書評でもいいのですが、なんかつまらない。その本自体が輝いていても、その書評が文字の羅列では、その本を手に取るきっかけが減ってしまうのではないでしょうか。

 

とにかく、僕は書き手の感情の起伏が感じられない、俗に言うと"エモく" ない書評があまり好きではないのです

 

 

食欲をそそる書評

村上春樹は自身で、書評についてこう語っています。

筋をずらずらと書いてしまう書評って困ったものですね。とくに結末まで書いてしまうというのは問題があります。僕は自分の本の書評は読んでいませんので、この件で具体的に判断はできませんが、一般論で言って、書評というのは人々の食欲をそそるものであるべきだと、僕は思うんです。たとえそれが否定的なものであったとしても、「ここまでひどく言われるのならどんなものだかちょっと読んでみよう」くらい思わせるものであってほしい。それが書評家の芸ではないでしょうか。

 

『少年カフカ』p232

 

食欲をそそる書評

 

これです。正にこれ。

 

その本を褒めようが褒めまいが、その書評を書いている人が己の魂をぶつけないで、本当の書評と言えるのでしょうか? 書評において、本のあらすじなんて、その本を読めば分かるのだから、どれだけの熱量をもって多くの人をその本に誘い込めるかが勝負なのではないでしょうか。

 

だから僕は書評においてテンプレートを設けてるものが好きでない。「まず、その本の印象的だった部分を記事の頭で簡潔にpick upして、、その後にそれを細分化して、、ほにゃららほにゃらら」みたいなやつです。それより「私はこの本を読んでから良くも悪くも人生が狂わされてしまって、、」みたいなやつの方が断然いい。まあそこまで極端でなくてもいいのですが。

 

たぶんこれは本に限らず、映画のレビューにせよ、アートの鑑賞レビューにせよ同じです。どれだけ書評の書き手が自身の感情を揺さぶられた体験を言語化できるか。それを伝えられるか。書評とは、それに尽きるのではないでしょうか。

 

 

以上

かふか

 

※ちなみに僕の村上春樹作品の書評、というか感想は例えば以下なんか感情Maxです(笑) 

 

myeinst.hatenablog.jp